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0008 A-side 東京伝説

1.東京とは

 言わずと知れた日本の中心都市である。首都機能を備え、政治・経済・文化全ての面において突出している。地質学的にも非常に興味深く、東西に長い土地は西から東へ行くにつれ、山地→台地→低地へと徐々に低くなっていく。台地と低地では地層の構成が全く異なり、台地は関東ローム層に覆われる1万年以上前の地層であるが、低地は数千年前にできた沖積層の土地である。東側こそ人工的な開発がハイペースで進んでいる近未来都市であるものの、西側にはいまだ手付かずの自然がふんだんに残されている。山地から供給される豊かな水が、東京の発展に貢献したことは言うまでもなく、緑溢れる平野を生み出すと同時に江戸期には水の都と称えられたように、人々の生活の基盤を支えた。
 東京都のほぼ中央部に位置する昭島市からは約200万年前のクジラの化石が発掘され、ここら辺一帯がかつては海底だったことがわかる。このクジラは体長が約15.6mであったそうだが、その全身骨格のほぼ全てを発掘できた貴重なものであり、コククジラ属のただ一体の新種として、模式標本(種の分類同定の基準となる標本)に指定されている。アキシマクジラと名付けられたこのクジラの原寸大化石レプリカは現在、アキシマエンシス国際交流教養文化棟くじらホールで見ることができる
 このように以前は海に侵食された土地であったのが、現在では逆に東京湾をどんどん埋め立てることで逆に海を侵食しつつ拡大している。「夢の島」のゴミ問題などはもはや歴史的な記憶となっているが、近い将来、東京は深刻なゴミ問題と再び直面せざるを得ないだろう。東京湾沿岸は人新世の最前線を感じられる場所である。
 ちなみに東京には坂と名のつく地名が900以上あるという。48グループはまだまだいくらでも作ることができることを申し添えておこう。
日本の総人口の1割以上が集中する人口過密都市であるが、定住する人間以外にも膨大な人流が日々蠢いており、瞬間的な人口は1割をはるかに超えるだろう。東京は人と人の出会う結節点として、重要な意味を持つ土地である。
 また、近未来的な景観が広がる一方で、歴史的価値のある建造物も数多く存在している。それは止まってしまった過去ではない。東京にあっては歴史でさえも、古びることはなく、常に現代的観点から捉え直され、刷新し続けられ、未来へと受け継がれてゆく。そこにあるのは過去→現在→未来という単純な時間の流れではなく、行っては帰り、帰っては行く、往還する時間の束である。東京は時と時の出会う結節点として、重要な意味を持つ土地である。
 人と時、これらが出会う場所は、無論情念と情念が出会う場所でもある。そして、それらを養分として育つ欲望が生じる。欲望は欲望の餌でもある。小さく取るに足らない欲望は、大きな欲望に容易に捕食されてしまう。この捕食という行為の周辺にドラマが生まれる。それは綺麗で見栄えの良いドラマでは決してない。そこには感動や教訓など何もない。時に、それは不合理で、不可解で、聞く者を非常に不愉快な気分にさせることもある。だが、一方で、それは確かに起こった、この世にたった一つしかないかけがえのない貴重なドラマである。人は言うだろう。「そんな取るに足りない話に耳を貸す者がいるだろうか」。残念ながら、いるのである。彼の名は平山夢明。東京という蠢く街の記録者である。

2.平山夢明とは

 別名義はデルモンテ平山。実話怪談からホラー小説まで、およそ恐怖にかかわる全てのジャンルを手がける作家である。デビュー当時から現在もなお進行形で、恐怖に関わり続けている。ここまでくるともう恐怖の求道者といった趣であるが、それを1冊にまとめた素晴らしい書物があるので、ここで紹介しておこう。

平山夢明『恐怖の構造』2018 幻冬舎

 H・P・ラヴクラフトの言うように「人間の感情で最も古く、最も強いのは恐怖である」。根源的感情と言ってもよい恐怖のことを、私たちはわかっているようで、実際にはあまりわかっていない。あえて言語化せずとも、誰もが感じたことがあり、容易に共有できるからこそ、あまり恐怖について深く考える必要もないのかもしれない。本書はその恐怖を言語化しようという試みである。論文や学説などの固い話ではなく、恐怖作家としての実体験をもとに書かれた実践的な恐怖構造論である。平山氏の恐怖についての持論に始まり、ホラー映画がなぜ恐怖を私たちにもたらすのか、そして、作家としての観点から語る怖い文章の書き方を通じて、恐怖とは一体何なのかが考察される。精神科医春日武彦先生との対談も掲載されており、現代社会にとっての恐怖の構造が浮き彫りになってゆく。歯に衣着せぬ二人のやりとりだけでも面白い。
 平山氏の作品はどれも心の底まで冷え切ってしまうほどの恐怖に満ちており、心臓をギュッと掴まれたうえでさらに、内臓をじっくりと弄られているような独特の嫌な感覚を読む者にもたらす。だが、本を閉じたいと思うかというと、決してそうではない。むしろ、私たちの視線は次へ、そのまた次へとどんどん作品の上を動いていってしまうのだ。だが、ただ、怖いだけかといえば、そうではない。そこには常に笑いが溢れている。そして、なぜか読んだ後には、妙なカタルシスを体験することとなる。
 私はこれまで平山氏のこの恐怖に対して、徹底的に突き詰めていく態度が一体どこから来ているのか不思議に思っていたが、本書を読んで初めて納得がいった。何より、氏の幼少期の環境が壮絶である。生まれながらに特殊な才覚を持っていたとしか思えないようなエピソードが満載である。まず驚くのは、わずか5歳の頃に近所のお稲荷さんを見て「神様なんかいないと証明しなくちゃ」と思ったことである。普通の5歳児はこんなことは考えない。考えるだけならまだしも、榊の葉っぱをむしり、お供え用の皿を叩き割り。祠に立ち小便もするという徹底ぶりである。自分の5歳の頃を想像してほしい。こんなことが果たしてできただろうか。おそらそんな5歳児は皆無に近いだろう。実際、氏にはこの後奇妙な体験が起きるのだが、それが氏の恐怖体験の原点である。また、周囲にもまともとは到底思えない大人たちがいたようだ。かくれんぼをしていたら一升瓶で殴りかかるオヤジ、樹木を殴りつけ拳を血まみれにしたオヤジ、車のタイヤの空気入れを無理やり手伝った挙句自転車をグッチャグチャにするオヤジなど、最凶最悪のオヤジたちの洗礼を受けて育った幼少期であった。そう、これは外圧である。平山氏の恐怖は外圧からくる恐怖なのだ。そういうのをわかった上で氏の作品を読むと、確かに自分の内面からくる恐怖が主人公を精神崩壊に追い込むような作品よりも、圧倒的に、外から突然やってくる理不尽な恐怖を描いた作品が多いことに気づく。上述した原体験が、平山夢明を平山夢明たらしめているのだ。
普通は、ホラー作品としては分類されない『ゴッドファーザー』(1972年/フランシス・フォード・コッポラ監督)や『タクシードライバー』(1976年/マーティン・スコセッシ監督)などを良質なホラー作品として論じているのが興味深い。平山流の恐怖の構造がどのようなものなのか、氏の作品解説を通じてよくわかるようになっている。
 作家自身がその生い立ちから自身の長い作家生活を通じて構築した恐怖構造論まで縦横無尽に語り尽くす。当然のことながら、下手な作家論を読むよりも十全に平山夢明の構造が明らかになる。非常にお得な一冊である。

3.東京伝説とは

平山夢明『東京伝説 自選コレクション 溶解する街の怖い話』竹書房 2018

 東京伝説——12冊もの巻数を重ね、ベスト版も3冊出版されている。劇場版も3作公開され、漫画化もされている。幽霊が出てくる怪談話ではなく、いわゆる人怖モノに分類されるような、日常生活での恐怖体験や不条理で不可思議なアンダーグラウンドの話が集められている。これをすべて平山氏一人の手で蒐集しているというのが驚異的。そして、そういった話がこれでもかと集まってくる東京という土地のはらむ狂気に戦慄が走る。日常生活での恐怖体験といっても侮ってはいけない。どれでもいいので手にとって読んでみればすぐにわかるが、とてもこんなことが日常で起きるとは考えにくい話しかない。東京で生活しようと考えている健全な読者は手にとるときっと後悔することとなる。むしろこれを読んで興奮してしまうような輩は、極めて東京と同調性が強いので、それはそれで自制心を強く持って東京に出かけないと二度と地上に浮上できなくなるかもしれない。
 本日はその中でも、平山氏自身が選んだ最狂コレクションである本書をお薦めしてこう。
 初めて東京伝説を読んだ時の衝撃を今でもよく覚えている。食事をしながら読んだことを激しく後悔した。一時期、干瓢が食べられなくなったし、エレベーターがトラウマになった。また、きちんと家に鍵をかけたかどうか強迫的に確認し続けたのもよく覚えている。思えば、この時のトラウマの治療として、私の怪談ライフは今も続いているのかもしれない。本当に思い出深い作品ばかり。あまり話数もないので、全話をレビューしてみよう。

「素振り」
 扁桃炎で女性が部屋で寝込んでいると、深夜異音が聞こえ目を覚ます。そこで彼女が見たものは……。侵入者の狂いっぷりに息を呑む。脅しや恐喝をする侵入者よりも、こういう得体の知れない行動を起こす侵入者の方がよほど怖い。

「東京プリティ・ウーマン」
家出少女が出会ったジミーという男との一夜の物語。さぞかし忘れられない一夜となったことだろう。私だったら気が狂っていると思う。作中で出てくる少女の「アソコにウンコされる」という台詞は東京伝説の中でも珠玉の名言。

「山」
単純に山は怖いという話。山では悪意のない何気ない行為が人の命を奪うことがあるし、山は悪意ある人間が好き放題できる場所である。そして何より、人間は食物連鎖の中では実は被食者なのだということを思い出させてくれる場所である。

「公衆電話ボックス」
サイフくだちい。平仮名を反対に書いちゃう人には絶対に気をつけるべき。

「テレビ」
最初は心霊現象かと思って読んでいると、驚愕する。今でこそ、類話をよく聞くが、案外、これを読んだ輩が模倣犯になっているだけなのかもしれない。

「都会の遭難」
人間関係の希薄さという点では、都会は山に一人でいるのとほとんど変わらないのかもしれない。どうか彼女が少しでもトラウマから解放されるとよいが……。人間も破裂するのだ。

「ナリスマ師」
毎年膨大に発生する失踪者はこんな境遇にあるのかもしれない。

「リモコン」
平山氏の作品でよく出会う人間リモコン。窮鼠猫を噛むというのは本当だと思える話。

「コンビニ」
もしも、この小太りの店長が暗殺者だったと考えると余計にゾッとする。

「内職」
形の悪い鶴ははねるという点に運転手の本気度が伝わってくる。

「芋けんぴ」
虐待がらみの話というのは、どれだけ読んでも慣れることがないし、胸を抉られるような思いがする。芋けんぴが凶器に変わるなんて誰も想像できないだろう。

「百目婆」
婆の執念を感じる。このような人にはやはり新宿がふさわしい。

「麻酔」
医師の言いつけは守りましょう、という話。

「サイコごっこ」
こっくりさんやエンジェルさんよりももっと怖い遊び。スタンフォード監獄実験を思いだす。

「No. 4」
鏡に映した時にきちんと見えるように彫るというところに、このストーカーの執念を感じる。手術代を稼ぐためだけに都会に住み続けるというのは何とも切ない。

「マヨネーズおじさん」
こんな悪意のあるおじさんが数年おきに発生するというのが恐怖である。

「公園デビュー」
このご婦人方相当に頭のネジが緩んでいる。子供たちが大人になっている頃なのだが……。

「ネックレス」
東京伝説を読み慣れてくると、タイトルだけで、それがどんな凶器か想像できるようになるから怖い。

「取り扱い注意」
コンドームの使い方は適切ではないが、マリファナは適切な使い方のような気もする。

「プリンのおじちゃん」
優しさが仇となったのが残酷である。だが、これも本当に憎むべきは虐待をした母親である。この主人公は決して間違ったことはしていない。

「シャワーノズル」
しばらくシャワーが浴びれなくなるかもしれない。いつの時代にもゲテモノを食べるのが好きな金持ちはいるものだ。

「蚊」
蚊がとまるというだけでも拷問なのに、それを遥かに超える拷問が待っている。私は夜中に蚊の羽音を聞くと狂ったように探す癖がついた。

「二度死んだ男」
心停止になった男の主観的体験談。これは医学的にもかなり貴重な話。これを読む限り死は全く苦痛ではないようだが……。

「おふくろの味」
文字通りの意味でのおふくろの味。これも東京伝説のヘビーリーダーならば、タイトルだけで容易に内容を想像できる。

「徘徊老人」
元自衛隊員か何かだろうか。

「フラスコ」
母になるというのは、男性である私には本当の意味では理解不能な体験なのだろう。少女の壮絶な思いに涙も出てくるほどであった。

「メンパブ」
睡眠薬飲ませてレイプという定型的な話ではないが、裏のビジネスとしてはあり得そうな話。

「607」
607がどうなったのかは知るのが怖い。

「祟り場」
男の執念がものすごい。これはもしかするとその後、心霊現象などに変化しているかもしれないなと思う話。

「終末ラーメン」
当時から大好きだった話。これを読むとむしろラーメンが食べたくなるという。

「窓辺」
死んだ時ほど優しい顔をする、というのが怖い。平山氏の言うようにこういった弱者をどうにか掬い上げるシステムが必要になってきているのではないだろうか。

「いってもどっていってもどる」
残虐の極み。これ以上の拷問を考えつくのは不可能だと思われる。

「となりの女」
狂ってねじ曲がった母性というのはとにかく恐怖。いいことをしてやっているという自覚と相手への激しい憎悪が同時に存在するため話がとてもややこしく、悲惨になる。

「風呂ぶた」
病気なのか、本当に怪異が取り憑いていたのか判然としない話。こういうのをサラッと体験できる平山氏はやはり引きが強いのだろう。

今回もお読みいただきありがとうございました。次回は「0008 B-side 東京の怪異を読む」です。次回もお読みいただければ無上の喜びです。

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