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名著探訪 稲川淳二の恐怖がたり 壱

 稲川淳二氏は言わずと知れた怪談界の絶対王者、もはや怪談仙人の域に達しつつある伝説の語り部である。彼にとっては、怪談とは恐怖であると同時に、抒情であり、慕情であり、恋情である。もちろん、当人は怪談を語っているという意識を持っているだろうが、それらは普通一般に考えられている怪談という枠組みだけで捉えることができないものが多い。
 稲川翁の著作は、数え上げるとキリがないほどたくさんある。そもそも、稲川翁を語るにおいて、本という枠組みだけで語ろうとするのは甚だ不適当であろう。氏の本領は、まずはやはりライブの語りにおいてあり、また、それ以外にもDVDや漫画など表現媒体が多数存在する。さらに言えば、芸能人、デザイナー、実業家など多くの顔を持つマルチタレントでもあり、それらを全て照射しない限り、稲川翁を十全に語ったことには到底なり得ない。だが、私という凡才が稲川翁を語り切るというのは、個人の能力の限界値を遥かに超えていることは明らかである。本日は、甚だ不完全であることを重々承知の上で、ライブの臨場感を残した名著『稲川淳二の恐怖がたり』を紹介させていただき、稲川翁の怪談に興味を持ってもらうための端緒としたい。全四冊あるため、四回にわたって一冊ずつ取り上げることとする。

稲川淳二『稲川淳二の恐怖がたり〜祟り ライブ全集① ’93〜’95』竹書房2002

 今では伝説として語り継がれている怪談ばかりが36篇収録されている。もう何度読み返したか分からないほどだが、真に優れた怪談は何度読み返しても恐怖が薄れることはない。

1.N航空旅客機墜落現場の霊
 この航空史上に残る痛ましい事故は、ちょうどお盆に起きた。極めて甚大な事故や震災の後には心霊譚が次々と発生することが知られているが、それもまた喪の作業の一つであろう。

2.仙台坂ミステリー
 仙台坂、別名「幽霊坂」と呼ばれる土地にまつわる話。そこには血吸いイチョウと呼ばれる曰く付きの木が生えているという。一つ一つの話は全く別個の話であるが、稲川翁の手にかかるとそれがあたかも全て因縁で繋がっているように感じられるという話の好例。

3.タレントBのバイク事故
 わざわざBと名前を伏したところで、全く意味がないほどの有名人物の有名な事故に関する話。当時は本当に衝撃であった。これを四谷怪談と結びつけるところに稲川翁の逞しい怪談的想像力を感じる。

4.富士の樹海
 これは稲川怪談の中でも屈指の名作のひとつ。樹海ロケで起きた出来事の数々は想像するだけでも十分怖いが、ここに稲川翁の絶妙の語りがトッピングされることで、極上の怪談に調理されている。並の人間が語るとここまで怖さを演出できるかはわからない。

5.八王子怨霊地帯・首なし地蔵
 八王子は魔界であり、今は川奈まり子氏や吉田悠軌氏のおかげでその恐ろしさを堪能できるようになったが、その原型はこの怪談にある。通りすがりの人として現れる怪異も怖いが、地蔵が自分の首を持っているというだけで十分怪談である。

6.お地蔵さんの願い
 お地蔵さんはしばしば、波長の合う人間に助けを求めることがある。この一編は本編とはあまり関係がない枕の話の方がよほど怖い。それは稲川翁の語りの特徴にもなっていて、どうかすると本編より枕の方が長いような時もある。だが、それがあってこそ本編が生きるのである。それも楽しんでもらいたい。

7.エド山口の“女の子の忘れ物”
 これは話の骨子だけ見れば、タクシー怪談だが、乗ってくる幽霊が結構明るいというのがやや珍しい。忘れ物からの家訪問、そして喪の最中という流れは鮮やかなまでの古典的流れだが、有名人の体験というのが一つの信憑性の担保となっている。

8.そのまんま東を襲った怨念
 これまでに何度も映像化されているように記憶している。赤いマニキュアの手が隙間からぬーっと出てくるところは、「ほん怖」などで映像として見る方がより衝撃度が高い。だが、やはり稲川翁が語ると、映像がありありと脳内に見えてくるから不思議である。

9.大川興業にまつわる闇の因縁
 今でいう事故物件の話。住んでからというもの、奇妙な夢に悩まされ続けるが、実はそこ渥美清、高倉健、森進一、田中角栄などの物真似で人気を博した声帯模写芸人Sが愛人に滅多刺しにされ、亡くなった部屋だったというもの。

10.窓の外アイドルが見たものは…
 アイドル達は職業柄ホテルや旅館に泊まることが多く、霊感の強い方々も多数おられるため、こういった怪異遭遇譚には事欠かない。また、この話は小人譚の一亜型としても面白い。それがおじさんだったかどうかはわからないが。

11.渡嘉敷の幻体験・死体をひいた
 人をはねたが見つからないという怪異譚は非常によく聞く話である。そこに何も見つからない場合も多いが、この話ではそこに人間ではないものの、ちゃんとした物証が見つかる。現代実話怪談ならばこういった綺麗なオチはあまりつかないことが多く、古典的風格の漂う一編。

12.伊集院光が語る“ベッドの秘密”
 伊集院光氏もまた怪談の語り部として有名である。スタイルとしては現代怪談師に近い。この話は幽霊というよりも人の執念が滲み出る怪異譚。現代風な解釈では、このベッドは呪物として機能していると考えられる。何を目論んでいたかは意味不明だが。

13.鳳啓助の電気をつけて寝るワケ
 「あれ、おまえ……………確か、だいぶ前に死んでたとちゃうか?」というくだりは何ともコミカルである。怖さというよりはユーモラスさが前景に立つ一編。芸人というのは数々の修羅場をくぐっている。笑いと恐怖は紙一重である。

14.火事を知らせに来た男
 庄野真代氏のもとに突如現れた謎の紳士。彼はどうしても伝えねばならぬことがあるという。有名なホテル火災の予知に関する怪異譚だが、事故や震災時には、起きた後だけでなく、実はその前から色々な怪異が発生しているのではないだろうか。私の好きな一編。

15.ニッポン放送レコード室の怪
16.ニッポン放送のエレベーター

 これらも折に触れて稲川翁がよく語る怪異譚である。特に昔のテレビ局は怪異多発地帯であった。私も、テレビ局に出入りすることが時々あるが、独特な雰囲気を纏う場だなと実感することがある。

17.合わせ鏡から出た悪魔
 13日の金曜日ならぬ21日の金曜日の話。この婦人が見たのが本当に悪魔かどうかはわからないが、合わせ鏡は絶対にやってはならない。ましてやそれを覗き込むなど、自ら進んで手ぶらで戦場のど真ん中に立つようなものである。

18.お通夜を知らせに来た友人
 写真の変化に対しては、確かに恐怖を憶えるが、基本的には稲川翁と友人との強い絆を感じさせられる一編である。

19.夜窓人面浮遊考
 心霊写真は今も昔も鉄板ネタである。最近はやや媒体として廃れてきた感があるが、この話のように、心霊写真単体としてではなく、それに付随する物語をクローズアップすると今でも十分に恐怖メディアとしての威力を持っていると思う。この話はその場所に偶然辿り着くというところに強い因縁を感じる。

20.死の旅館(夜汽車にて)
 ドラマ性が高く、これも「ほん怖」系のドラマで再現VTRを作れば、現代であっても全く色褪せない極上の恐怖映像となるだろう。稲川怪談の屈指の名作の一つであり、おそらく初めて聞く人のほとんどはトラウマとなる話である。

21.血を吐く面
 これも名作。赤い色という色彩が非常に効果的に使われており、謎の面の正体が何なのかというミステリ要素もあり、最後まで楽しめる。鮮やかなどんでん返しをくらわされたような気分になる。私もお泊まり会などで何度も使わせてもらっている。

22.淡谷のり子を襲う絵師の霊
 昔の芸能人にまつわる怪談は稲川翁のお家芸といってよい。淡谷のり子氏の人生自体が波乱であり、この怪談は確か、淡谷氏自身が各所で語っておられたと私は記憶している。ここで語られているよりも、もっとドロドロした人間関係がこの話の背後にはある。

23.M旅館にまつわる心中の因縁
 これを初めて聞いたのは中学生の終わりか、高校生になったばかりの頃だったような記憶がある。あまりに長い怪談に度肝を抜かれた。起こる怪異もまた一級品で、押し入れに佇む学生の霊とそこにあった遺書というのが、心を抉る。稲川翁が廊下を走るシーンもよい。

24.メリーさんの館
 これは別の機会に名著としてとりあげる『新耳袋』で語る。

25.幼稚園のバス
 事故車を路上に放置するという行為が本当にあったのだろうか。しかし、30年前は今とは社会の寛容さというか杜撰さが桁違いだったので、こういう怪異はあり得たのかもしれない。

26.とりついた家
27.先輩のハト

 これも『新耳袋』で語ることとなる。

28.あけちゃいけない
 稲川翁お気に入りの話という。そう、確かに怖い話だけで片付けてしまうにはいささか余白がありすぎる。何と何がせめぎ合っているのかもよくわからない。子供の頃の忘れていた記憶が、このようにある日ふと蘇ることがある。怪談とともに。

29.シャツに残る子供の手形
 ゾンビ化した、たくさんの子供たちというのはホラーにおいて、非常に効果的なギミックである。夢か現か判然としない中で、結局は現実であることを突きつけられる。その徴が手形の痕跡という間接的な証拠で提示されるというのがよい。

30.フィルムに映った恐怖
 これは北極ジロ氏の怪談である。また別に論ずる。

31.闇夜に泣く赤ん坊
 猫と赤ん坊の声は本当に区別がつかないことがある。幼少期、入浴中に何度猫に脅かされたかわからない。そんな一人一人の郷愁に訴えかけてくるのが稲川怪談の魅力である。

32.サーファーの死
 稲川怪談の中でも五本の指に入る名作。今では「長い死体」というタイトルの方が世に知られている。初っ端から水やカレーが運ばれないという典型的なフラグが立つが、これくらい典型的な方が私は好みである。長い死体の正体に刮目せよ。

33.トンネルリヤカー
 これも傑作。トンネル特に手掘りのトンネルというのは怪異の宝庫である。私はこういう現象は、幽霊譚というよりも、狐狸が騙していると考える派閥である。妖怪的な匂いがたまらなく漂う話。

34.顔ちょうだい
 稲川翁の話を読み聞きしていると、時々、いきなりスプラッター的な展開となる話があって肝を冷やす。20の「死の旅館(夜汽車にて)」もそう。ひとつ確実に言えることは、妊婦は読んではならない、決して。

35.奥多摩の旅館
 稲川翁には旅館の話が多い。恐れを知らない行動力に、読んでいるこちらが紙面に向けて「行かないでぇー」と叫んでしまいそうになる。だが、この行動力こそが怪異に会うための原動力となるのだ。私には真似できないが。

36.心中死体の岩場で
 これもまた稲川翁の豪胆さが滲み出る話である。この世には2種類の人間がいる。怪異と出会える人間とそうでない人間である。出会える人間にとっては、造作もないことのようだが、私のような後者の人間にとっては宝くじの1等に当たる程度の確率であろう。要は「持っているか」どうかなのだ。稲川翁が間違いなく「持っている」人間であることが心底よくわかる話。

 今回もお読みいただきありがとうございました。次回は、「名著探訪 稲川淳二の恐怖がたり 弐」です。次回もお読みいただければ、この上ない喜びです。

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