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0005 A-side 幽霊物件案内

1.幽霊物件とは複素数である

 いきなり数学の話から始めて恐縮(といっても、ごく初歩的なこと)だが、数には実数と虚数があり、それらを統一する概念として複素数がある。数の細かい話はどうでも良いのだが、なぜこんな話から始めたのかというと、今回はまず、幽霊物件、事故物件、心霊スポットという3者をめぐる話をしようと思っているからである。これらの概念は似通っており、一部重なる部分もあるが、微妙に異なっている。まずは語句の意味を明らかにする必要があるだろう。そもそも、幽霊物件という言い方は今日ではあまり耳慣れない(これが耳に馴染んでいた時代があったことすらないかもしれないが)言葉である。これが何かということはまず置いておいて、事故物件から始めよう。
 事故物件はWikipediaによれば次のように説明されている。

事故物件(じこぶっけん)とは、広義には不動産取引や賃貸借契約の対象となる土地・建物や、アパート・マンションなどのうち、その物件の本体部分もしくは共用部分のいずれかにおいて、何らかの原因で前居住者が死亡した経歴のあるものをいう。

Wikipedia事故物件より

 要は、前居住者が死亡した物件のことであると理解すればよい。当然のことだが、事故物件で怪現象が起きる必要はない。そこで人が亡くなっている。亡くなり方にもよるが、基本的にはこれが事故物件であるための必要十分条件である。そのうちのいくつかでは、事故にまつわる様々な怪現象が起きることもある。心霊好きにとっては、このような物件にしか興味がないので、今日に限っては、事故物件を「前居住者あるいはそれより以前の居住者が確かにそこで亡くなっており、その死にまつわる怪現象が起きる私的空間」と定義しておこう。
 次に、心霊スポットについて。Wikipediaにはこうある。

心霊スポット(しんれいスポット、心霊名所)とは、幽霊や妖怪の出現地、または超常現象が起こるなどとされる場所を指す。墓地、古戦場、自殺の名所(樹海、岬、橋)、山中のトンネルや峠など、霊が出るという都市伝説的な噂がある場所や、病院や学校の跡といったいわゆる廃墟と呼ばれる建物、旧道・廃道になって雰囲気がある荒れた場所、あるいは過去に忌まわしい事件・事故が起こった場所などが心霊スポットとされるようになることが多い。

Wikipedia 心霊スポットより

 いささか歯切れが悪い印象を受けるが、心霊スポットなるものを真剣に定義しようという試み自体がマニアックなものなので、Wikipediaに項目を作ろうと思ったことだけですでに評価に値する。それでも、各人には各人なりの心霊スポットのイメージというものがあるだろう。今日のところは、「怪現象が多発する場所として、現にその体験者が複数名存在し、なおかつ、ある程度の全国的な知名度があり、場所に関する情報が共有されている公的空間」と定義したいと思う。
 事故物件と心霊スポットには重なり合う部分が当然ある。全国的な知名度を持つ事故物件としては、例えば、京都の幽霊マンション(ご存知ない方は、例えば、『新耳袋 第七夜』を参照されたい)がある。だが、これはごく稀なケースに過ぎない。私の定義によれば、事故物件とは私的空間性、心霊スポットとは公的空間性が高いものであり、両者が重なり合うことは少ない。再び数学的比喩を用いると、事故物件を実数とするならば、心霊スポットは虚数であると述べることができる。
 では、幽霊物件とは何か。私はこの言葉を、事故物件と心霊スポットを包含する概念用語として提唱したいと思う。実数としての事故物件、虚数としての心霊スポット。それらを包含する上位概念である幽霊物件は言うなれば複素数に例えられる。それがこのセクションタイトルにもなっている、幽霊物件とは複素数ということの意味である。図で示せば以下のようになる。

わざわざ図示したことが恥ずかしくなるほどの幼稚なヴェン図

 実は、この用語はすでに小池壮彦氏によって使われている。私が行うのは、私なりに小池氏の使う幽霊物件という用語を咀嚼し、再解釈し、敷衍するだけである。
 怪談へのアプローチには2つある。ひとつは人にフォーカスする方法、もう一つは、場所にフォーカスする方法。例えば、0001 A-sideで扱った生き人形は、人にフォーカスされた怪談と言えよう。それとは別に、明らかにその場だけで起こるという怪談がある。それが場所にフォーカスされた怪談である。事故物件や心霊スポットでの恐怖体験は好例である。しかし、事故物件や心霊スポットの定義には当てはまらないが、明らかに怪異の起こる現場というものがある。例えば、とある学校の教室、とあるバーのトイレ、とある会社の備品置き場など、それらは完全に私的とも完全に公的とも言えない「間(あわい)の」空間である。実際には怪異はこのような空間に出現することの方が圧倒的に多い。そこで人が自死したとか、そこは歴史的にいわくのある土地だとか、そのような逸話を何も持たない空間に怪異は現れる。いや、以前は確かにそこで何かがあったのかもしれない。だが、その事実は時間の中に風化して、誰の記憶にも止まらず忘れられてしまった。怪異は忘却を拒むものとして現れているのかもしれない。確かに、そこに誰かが存在し、誰かの物語があった。そのたったひとつのかけがえのない物語を伝える唯一の表現者として、怪異は私たちの目の前に姿を表す。そしてそれを媒介するのが幽霊物件なのだ。幽霊物件にこびりつく物語は幽かである。が、それはかつて確かに存在した誰かの物語の記憶である。

2.小池壮彦とは誰か

 小池壮彦氏には肩書きがたくさんある。ルポライター、日本幽霊史学会主幹、怪談史研究家。だが、やはり私の年代にとっては、『奇跡体験!アンビリーバボー』のイメージが非常に強く、怪奇探偵という名称がしっくりくる。私の中では、巨匠レイモンド・チャンドラーの生み出した私立探偵フィリップ・マーロウのイメージで勝手に脳内変換される。マーロウといえば、警察などの公権力に決して屈しないハードボイルド探偵であり、弱者には妙に優しい一面も持ち合わせている。基本的には極めて慎重に捜査を行う一方で、時に、驚くほど大胆な行動に出ることもある。私にとっての小池氏のイメージはまさにこんなものだ。
 小池氏の文体は幾分か硬質で、事実のみを淡々と列挙していくスタイルである。感情の起伏をあえて最小限にしたことで、かえって話の持つ恐怖性が露わになっていく。徹底的な実地調査と聞き込みを信条としており、足を使って記事を書くお手本のような存在である。小池氏の蒐集する怪談には、特段の事情がない限り、ある程度まで具体的な地名が必ず付記されている。ここには現場主義の姿勢が如実に現れている。怪談(特に、実話怪談)にリアリティを与えるのは何か。それは実在の体験者によって語られていることはもちろんだが、それと同じかそれ以上に重要なのが、怪談の現場が特定されていることである。これに関しては、吉田悠軌氏がその著書『一生忘れない怖い話の語り方 すぐ話せる「実話怪談」入門』で次のように語っているので、引いておこう。

 実話怪談は、再現性のないただ一回の体験を取材するもの。つまり物的証拠の存在しない、ひたすら体験者の記憶だけを紐解く作業なのです。この「体験それ自体」とは、物証を裁判所に提出するように、ポンと外部に取り出せるものではありません。
 もし客観的証拠があるとするなら、それは不思議な現象の起きた「場所」だけです。だから私は、それを「怪談現場」と名づけて、他の怪談プレイヤー以上に重要視しているのです。

吉田悠軌『一生忘れない怖い話の語り方 すぐ話せる「実話怪談」入門』 KADOKAWA 2021

 かようなまでに、怪談の現場とは重要なファクターである。この「現場を重視し、自らの足で徹底的に取材する」という方法の嚆矢こそ小池壮彦氏に他ならない。
 近年では、有名な幽霊事件の真実を明らかにしていくという試みを積極的に行っているが、これこそ小池氏の本領発揮といったところである。有名な幽霊事件は必ず特定の場所と結びついている。土地の歴史を紐解き、なぜその事件がそこで起きねばならなかったのか、そしてそれがどのようにして幽霊譚へと変容していったのかを具に検証していくやり方は圧巻の一言である。これぞ怪奇探偵、と何度膝を打ったかわからない。『幽』の人気連載であったが、今では『日本の幽霊事件』、『東京の幽霊事件』として書籍化されており、入手も容易なため一読をお薦めする。
 ところで、小池氏には半ば伝説と化している「夏川ミサエ」という怪談がある。私は若い頃この話が『奇跡体験!アンビリーバボー』の放送で映像化されているのを見て、トラウマになった記憶がある。この不思議にして、不幸な霊感少女・夏川ミサエの怪異はまだ終わっていないという。そういう点では「生き人形」と同じだが、決定的に違うのは、「夏川ミサエ」の話は生き人形ほどに全貌が明らかにされていないということだ。ひょっとすると、私が知らないだけかもしれない(有料メルマガなどで情報発信されているのか?)が、ネットや本などを調べて見ても、あまり情報がないように感じられる。話すと祟るという側面もあるらしいので、小池氏が意識的に情報を出さないようにしているというのもあるだろう。だったら諦めればよいのではないかと言われればそれまでだが、どうにもそういうわけにはいかない。私はなぜだか定期的に「夏川ミサエ」に戻ってきてしまうのだ。それは渇望と言っても良いほどの強い欲動である。これが「夏川ミサエ」の持つ力なのだと思う。当事者でも何でもない私ですら、世の中の記憶から決して消えてやるものかという、ミサエのものすごい執念を感じてしまう。ミサエはすでに私たちの深層心理の奥底で、人類の共通思念として永遠の存在となることに成功しているのかもしれない。「た・た・か・れ・る・と・い・た・い・か・ら」——これは怪談史に残る類い稀なる名言である。

3.幽霊物件案内

小池壮彦『ホラージャパネスク叢書 幽霊物件案内 怪奇探偵の㊙︎情報ファイル』同朋社 2000

https://www.amazon.co.jp/dp/4810426254

 小池氏の著作は秀作揃いであり、どの本も力強く推せる。90年代の著書であれば『東京近郊怪奇スポット』、『心霊ウワサの現場』、『幽霊は足跡を残す——怪奇探偵の実録事件ファイル』など、どれも怪異の場所性を強く意識した著作がある。2000年代に入ってからも旺盛な執筆活動を続けており、今回紹介する前掲書の他にも、怪談史的観点からの意欲的な著作、『心霊写真』、0002 B-sideでも紹介した『呪いのビデオ——怪奇探偵の調査ファイル』、近年では2で挙げた「幽霊事件」シリーズの他、高田五郎氏との共著で日本という国そのものに考察の手を伸ばしている。どこから手をつけてもあなたをしっかりと怪奇の深淵へと誘ってくれるだろう。
 本書は、ホテル、住居、学校、会社、病院、飲み屋、喫茶店他でそれぞれ章立てられている。全て著者自らがその現場へ赴き、当事者に取材をして集められた怪異譚である。各現場は特に有名な事故物件などではないし、有名な心霊スポットでもない。怪異現象さえ起きなければ、注目されることもなかったであろう普通の場所である。このような場所こそ、まさに幽霊物件と呼ばれるに相応しい。ちなみに本書には続編の『幽霊物件案内2』もあり、いかに怪異現象が身近に起きているかを痛感させられる。
 小池氏の文体は基本的にノンフィクションのそれであり、感情表現はほとんど出てこない。ひたすら事実だけが語られていき、無論(怪談ではご法度なので)真偽判定なども行われない。氏の主観的な考えも極力述べられないように配慮されている。だからこそ、私たち読者は、説明のなされない宙ぶらりんの状態に置いてけぼりにされたまま、そこに漂う不穏な空気に圧倒されるだけである。
 各章の中で、これは、と思うものを紹介してみよう。
「真っ赤な女」——現場は新宿歌舞伎町2丁目のラブホテル。バスルームに真っ赤な赤身の女が出るという。体験者サエコを件の女が襲う。幽霊離れした女の強襲に想像するだけで怖気が走る。
「悪い子じゃないのよ」——現場は高田馬場のマンション。腕に注射痕がいくつもある妖しい女とその女が所有する人形が織りなす奇妙な暮らし。喋る、動く、暴力を振るう人形。悪い子ではないと女は言うが……
「志木貴菜」——学校は現場が特定されると困るからだろう、伏せられている。小池氏の話にはしばしばどこか寂しげで、斜に構えた霊感少女が出てくるがシキ・キナもその一人。変な娘なのだが、憎めない。お化け屋敷になった学校を見てみたかった。
「都庁の非常階段」——東京都庁第一本庁舎45階展望室という非常に具体的な現場である。多分老人が戯れているのは猫娘であろう。
「デンマさんのドロップ」——現場は世田谷の病院<K>。小池氏自身の体験である。自由に外出でき、病いの徴候が微塵も感じられない同室のデンマさん。彼のくれるドロップには特殊な力がある。ドロップを舐めた患者たちの辿る結末とは。
「秘密」——場所は明らかにされないが、タエコという女の子にまつわる不思議な話。妙に感動する。
「こちらを見る女」——現場は新青梅街道沿いのファミリーレストラン。このレストランの中では、髪の毛の話はしない方がよい。後ろの女にはご注意を。

 お読みいただきありがとうございました。次回は、0005 B-side「怪異と住む」です。物件、家にまつわる作品をご紹介いたします。


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