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食のまちストーリーズ vol.03「この地だから在る、地元の焼酎」

鹿児島県のいちき串木野市で取り組んでいる「食のまちづくり」に関連する情報を紹介します。「食」を通じて、いろんなことを楽しむ、いろんなことをやってみる。人がいきいきと輝き、まちが元気になる。それが「いちき串木野市 食のまちづくり宣言」です。いちき串木野市は、海の味、山の味、こだわりの珈琲から蔵元の焼酎まで、心がほっとするおいしいものが身近にある、豊かな食文化を誇るまちです。この食文化をおいしく、楽しく味わいながら、人がいきいきと輝くまちをみんなで育てていきましょう。


この地だから在る、地元の焼酎

photo:Fumikazu Kobayashi

「そろそろ焼酎にする?」
「そうだね、確かボトル入れていたような?」
「すいませーん!焼酎のボトルキープとお湯のセットください。グラスは3つ」
みたいな会話が夜の居酒屋では頻繁に聞こえてきます。最初はビールで乾杯するも、最終的には焼酎に行き着いて、みんな笑顔で日々の疲れを癒します。
 一方、家庭でも夕飯時には年季の入った魔法瓶と一升瓶、慣れた手つきでお湯割りをつくり、グラスの中で対流する蜃気楼を少し甘めのおかずと一緒に流し込み、明日への英気を養います。
 
 『だれやめ』鹿児島では夜の晩酌のことをこう言います。だれやめとは『だれ=疲れ』『やめ=止め』という意味で、1日の疲れを癒してまた明日も頑張ろう!と、お酒好きの心の声を代弁し、そして飲む理由もつくってくれる、魔法の儀式のようなものですね。
 

photo:Takayuki Oki

 鹿児島の人々の生活に古くから溶け込んでいる焼酎ですが、その製造技術が急速に発達したのは明治時代でした。当時、大蔵省の税務監査局の技師として働いていた河内源一郎氏が鹿児島に赴任し、焼酎の麹の研究を始め、沖縄の泡盛の麹菌から胞子を取って焼酎に適した河内黒麹菌(いわゆる黒麹)を培養することに成功しました。その後、新種・河内菌白麹(いわゆる白麹)を発見。河内源一郎氏と焼酎蔵、杜氏軍団などの研究と努力の結果、安定的に焼酎を仕込む技術が確立していったのです。
 
 麹と同じく大事な原材料である、さつまいもも実は鹿児島の土地柄が大いに関係しています。さつまいもは根が地中を這うようにして育つので、台風銀座と呼ばれるほど台風の襲来が多い鹿児島でも、その風に飛ばされる事が少ないのです。また、雨が多いと水が地中に溜まって腐ってしまいますが、鹿児島は火山灰が堆積してできたシラス台地、やせた土地ではありますが水捌けは抜群で、さつまいもを育てる環境に非常に適しています。
 

photo:Fumikazu Kobayashi

 日常的に目にしたり、口にしている焼酎ですが、実は鹿児島だからこそ造れるお酒なのです。オー、ミラクルリカー!
 
 いちき串木野市には現在8つの焼酎蔵があります。鹿児島全土を見渡してもここまで近距離に密集している地は他になかなかありません。特に集中している市来は明治〜昭和初期にかけて薩摩街道出水筋の宿場町として、市来湊は江戸・大阪方面へ物資を輸送する港としてとても賑わっていたそうです。決して賑わっていたからというミーハーな理由ではなく、市来の地で湧く水は水質が良く、焼酎の仕込みにとても適していたので、焼酎蔵が集まっているのです。
 
 主に鹿児島や九州圏内で消費されることが多いお酒ですが、広く焼酎について知ってもらおうと、今年の2月に鹿児島では初めてとなる産地を巡るツーリズム、〈焼酎ツーリズムかごしま2023〉がいちき串木野市を中心に開催されました。全国から約130名が焼酎蔵とその産地の散策を楽しみ、お気に入りの一本と出会い、現地へ来ないとできない体験をしました。
 

photo:Toyohiro Honda

 焼酎蔵はこの時期、仕込みの真っ最中だと思います。蔵から漏れ出てくる良い香りを噛み締めながら、美味しい焼酎が醸されるのを待ちたいと思います。
 
 
 以下では、数あるいちき串木野の焼酎蔵から厳選した、発酵させながらキラリと輝く、発光している素敵な杜氏さんを紹介したいと思います。


「目指すのは『繊細でありながら複雑』」
〈大和桜酒造 株式会社 若松徹幹さん〉

illustration:aoi miyamoto

 若松さんの話す言葉には説得力があり、時折見せるブラックユーモアは面白く、聴く人を魅了します。この説得力はお米を洗うところから出荷の対応まで、大和桜の焼酎造りを若松さん自身が掌握しているからでしょう。
 横浜の大学を卒業後は広告代理店で働いていた経歴を持つ若松さんは、芋を洗いながら自社のマーケティングについてのアイデアをよく考えるそうです、しかし「徹幹は『脱マーケティング』というタトゥーをした方がいい」と恩師に言われたこともあり、浮かんだアイデアの本質を考え、自分と向き合い、いらない部分を削ぎ落として己の思考を洗練させるそうです。そう、芋の泥を洗い流しながら。
 そんなぐるぐると回る若松さんの思考を垣間見るのはとても楽しいです。


「畑づくりにこだわって、育てた芋をただ信じて」
〈有限会社 白石酒造 白石貴史さん〉

illustration:aoi miyamoto

 ストイックな職人、でも苦悩しているような。というのが最初に会った白石さんの印象だったのですが、ここ最近の白石さんはとてもイキイキして目に迷いがないように感じとれます。それはきっと原料の芋を育てるところに振り切ったからなのではと考えます。
 「仕込みにお米も使うけど骨格がしっかり出てしまうので、それも消せないかなと考えている」というほど、芋のエキスを抽出することを今は楽しんでいる様子。全銘柄を自社の芋で仕込むようになって早くも5年、こだわった原料を使って造られた焼酎にはあきらかな味の違いが出てきています。もはや白石さんにしか造れない焼酎となっていますが、信じた道を進む男が醸す酒の背中には、ついて行きたくなる味わいがありますね。


「さつまいもの研究から造り手へ」
〈濵田酒造 株式会社 原健二郎さん〉

illustration:aoi miyamoto

 「自然が好き」と、学生時代は山岳部で九州各地の山々を完登してきたという原さん。ボディボードにハマっていた時期は朝5時に海へ出かけ波と戯れてから出社したり、今でも登山を続けているなど、アクティブに自然と触れ合っているそうです。帰宅後はほぼ毎日の晩酌は欠かさず、焼酎も年中お湯割り派のオユワリニストです。
 大学時代は農学部でさつまいもの研究をしていて、濵田酒造へ入社後は社内でも初となる開発部門を任されました。そして、今では『祝の赤』でお馴染みの銘柄「海童」の開発に入社間もないながらもメインで携わるなど、仕事と遊びを両立させるデキる男です。現在は後任の育成にも力を入れていて、きっと仕事以外もたくさんのことを教えているのでしょう。


「時代が進んでも造っているのは人の手」
〈田崎酒造 株式会社 野崎充紀さん〉

illustration:aoi miyamoto

 何年前でしょう、野崎さんが仕込んだ焼酎を初めて飲んだ時のインパクトは今でも忘れられないです。華やかだけれどまろやかでしっかりと芯のあるあの味は衝撃的でした。その後、逆輸入的に『七夕』の存在を知るのですが、熟成焼酎ということもあり、飲み口が優しい七夕にも今ではすっかり虜になってしまっています。「ウチはあくまで七夕がメイン、自分の身の丈にあったできる範疇で」と話していましたが、野崎さんの造る焼酎で間口が広がっている人がいることは確かだと思います。
 「美味しい焼酎を造るのは当たり前で、旨い焼酎を造っていかなくちゃいけない。美味しいと旨いは違うんですよね」。愛らしくチャーミングで、ちょっとシャイな野崎さんが真剣に語ってくれる雰囲気は田崎酒造の焼酎とどこか似ている気がします。

text:Fumikazu Kobayashi
photo:Fumikazu Kobayashi, Takayuki Oki, Toyohiro Honda
illustration:aoi miyamoto


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