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好きって

好きなものはありますか?

みんなそれぞれ度合いや対象は違えど"好き"という感情を持ったことはあると思います。

じゃあ、好きだったものは?
これもきっとそれぞれが持ち合わせているものだと思います。

ここでお風呂真っ只中の私は思いました。
好きなものへの感情と好きだったものへの感情の違いって何なんだろうか。
後になって「私ってあの頃、〇〇がすごく好きだったよなあ」って思うことはあるけど、好きなものが好きだったものになる瞬間は気づけたためしがない気がします。

それでは、堂々巡りの末にたどり着いた、今回のワタシ的 最優秀最もらしいであろう回答で賞を受賞した考えは…
その感情を潔く言語化できるか否か、その感情が主観的か否か、です!

好きなものや人の話になると必ずと言ってもいいほど聞かれる質問と言えば!
「どういうところが好きなん?」ですよね。
正直にいうと、好きなものとか人って語りきれなくないですか?「なんかいいねんなあ。」「なんかもうグッてくるねん。」とか。
言語化したとしても無理矢理こじつけた理由付けであって本当は好きなものは好き!なんかいいしなんかフィットしてる!最高なの!以上!って感じ。
いざ話すとなると色々溢れ出してきて話し足りない。

でも好きだったものって掻い摘んで端的に話せることが多い気がします。
私でいうと、幼き頃からずっと読書が好きだったんですが最近はめっきり本を読んでいません。
好きだった時は、好きな理由が今ひとつ浮かばなかったけどなんか良いねんなあって思っていました。
でも今となっては、あのページを捲るワクワク感と、自分には得られない体験や感情、考え方や価値観を知ることができるという未知なる発見体験の虜になっていたのだなあと思い返します。

この違いは、感情が現在進行形で生まれているものなのか、ある地点でストップしているものなのかによって生じているのだと考えます。
好きは進んでいるけど、好きだったは止まっている。
これは言葉を見ても一目瞭然です。

また、好きは主観的、好きだったは客観的に捉えられると思います。

好きなものに対してはなかなか客観視できない傾向にあると思います。好きなものを馬鹿にされると傷つくし、好きなものを肯定されると嬉しい。
好きなものに関しては自分が自分であることの一部になり得るのではないかと思います。

それに対して好きだったものを主観で捉えることは少ないです。それはもう現在の自分自身を構築するものではない、いわば過去の自分を思い返すような感じです。
馬鹿にされると嫌だけどそこも認めることができなくもない。

自分自身が変化することによって、好きなものが自分の想いや求めるもの、置かれている状況から徐々に乖離することによって好きだったものに変動していくんだと思います。おそらく。

話が主題からブレブレで、何ともまとまりきっていないですが、もうちょっと思考が進んだら書き起こしてみたいですね。

頭にブワッと浮かんだことを言語化するのは果てしなく難しいですね。
ニュアンスとか、思考の経過とか。語彙が乏しく、文章が拙すぎて切ないです。

次回もまたいつか書きます。

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