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笹巻き(山形県米沢市)

原材料:餅米(国産)、砂糖、きなこ(大豆)、食塩
製造:蔓寿屋
販売:道の駅米沢オンラインショップ
https://shop.michinoeki-yonezawa.jp/

ツルで頑丈に縛られた笹の葉をほどくと、光り輝く餅米が姿を現した。砂糖の入ったきな粉を振りかけ、ガブリとかぶりつくと、大昔に食べた何かに似ている。記憶のはるか彼方から味覚をたぐり寄せていくと、そうだ、祖母が作ってくれた七草粥である。

そのことを妻に話すと、「七草粥に砂糖なんて入れない」と一蹴。中野出身の祖母は七草粥に砂糖と餅を入れていたが、調べてみると、これは東京でも一部の地域だけの風習だという。山形からとりよせた郷土菓子が、舌の上に残る幼少時代の記憶を蘇らせたわけで、なんとも不思議な感覚になった。

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それはともかく、笹巻きである。山形のなかでも内陸部南部の置賜地方と日本海沿岸の庄内地方では笹巻きの作りも違うそうで、我が家に届いたのは前者のもの。後者の笹巻きは餅米を笹の葉で包んだあと、灰汁で煮る。南九州には竹の皮に包んで灰汁で炊く「あくまき」という郷土菓子があるが、作り方だけいえば少し似ている。

笹巻きとあくまきは、どちらも端午の節句(5月5日)に食べられるという点も共通している。かつての農村では、節句の日には農作業を休み、普段は食べることのできないご馳走を口にできた。端午の節句には菖蒲湯に入ったり、ちまきや柏餅を食べる風習が各地に伝わっているが、神崎宣武『「まつり」の食文化』によると、ちまきの習慣は中国の故事にまでルーツを遡ることができるという。同書ではその原型が生まれたシーンをこのように描写している。

楚(紀元前の春秋・戦国時代)の王族として生まれた屈原が国を失う絶望から投身自殺をした。その日が五月五日。それを湘江の蛟龍に召されたとあわれんだ屈原の姉が、餅を作って川に投げ込み、蛟龍にたむけた。(神崎宣武『「まつり」の食文化』)

なお、僕らが食べた置賜地方の笹巻きはきな粉と砂糖を振りかけるが、庄内地方のなかでも鶴岡周辺ではきな粉と黒砂糖、さらには黒蜜をかけて食べるらしい。同じ山形でもなぜ地域によって調理法や味付けが異なるのだろうか。そもそも黒蜜をかける点も南九州のあくまきと一緒ではないか。笹巻きはその素朴な味わいのなかに大いなるロマンを秘めているのだ。

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