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母の前世に会いにスペインのフィゲラスへ

「前世の母」ではない。「母の前世」に会いに、スペインのフィゲラスへ行った時の話。


「お母さん、ダリの生まれ変わりのような気がする。」

唐突に母がそう言い出した時があった。

え、そうだとしたら私はダリの生まれ変わりの娘・・・?!

急いでサルバドール・ダリの没年月日を調べた。
1989年。全然母が生きていた時だった。残念、お母さん、同じ時代を生きていたわ。

その頃、母は確かテレビでやってたダリの特集か何かをみて、以前から気になっていたというダリの再ブームが訪れたようだった。
画集や本を集めて、スペインに行きたいと言いはじめた。

母は家族の中でも現実的で冷静で、突飛なことを言う不思議ちゃんタイプでもない。根拠のないものは信じないので、新興宗教やマルチ的な怪しいものも好きではない。なぜ急に、ダリの生まれ変わりかもしれないと思ったのか。

理由を聞いたか聞いてないか思い出せないけど、いまだに「なんで?」と思っているということは聞いてないか、聞いても「なんで?」だったのだろう。

それから程なくして、母は急に亡くなった。

急遽手術をして持ち直した時、沖縄から病室へ駆けつけた私と姉と「治ったら一緒にスペインに行こう」と約束をしたのだけれど、結局、連れて行ってあげることができなかった。



それから数年後、会社の研修旅行として思いがけずスペインのバルセロナへ行けることになった。

研修旅行なので、社員数名ずつのグループで行く。
有名観光地を乗り降り自由のバスで巡ることだけがミッションで、あとの予定は好きに決めていいという自由な旅程だった。旅前にどこに行くかとグループで話していた時に、提案してみた。

「ダリの美術館に行ってみませんか」

下調べによると、ダリの美術館はバルセロナから電車で片道1時間ほどかかるフィゲラスというちょっと離れた街にあった。遠いし、あんまり興味をもってくれないかと思っていたら「いいね!」と、すんなりと旅程に組み込まれた。

添乗員の経験があり英語も話せる先輩が駅で的確にみんなを誘導してくれたおかげで、あれよあれよとフィゲラスにも辿り着けた。

フィゲラスの駅から美術館まで、思ってた以上に田舎の風景の中をみんなでのんびり歩く。途中、フリーマーケットのようなこともやっていて、地元の生活を垣間見たりしながらGoogle MAPに従って歩いていくと、その奇抜な建物が現れた。

街中に馴染みながらも奇抜な外観。途端にみんなでテンションが上がった。

赤い外壁にはクロワッサンがたくさんくっついていて、屋根には卵のオブジェが並んでいる。どういうこと。

美術館の中もテーマパークのようで、みんなであちこち見ながら写真を撮ったり楽しんだ。


私はこの旅で、ダリの美術館に行けば母が急に「ダリの生まれ変わりかもしれない」と言い出した理由がわかるかもしれない、と少し思っていた。

そういう映画の様に、例えばちょっと奇跡的な体験があったりして、お母さんが言ってた理由がわかったよ・・!みたいなことがあるかもしれないと、実はちょっと思っていた。

でも、ダリの解釈しづらい絵やニヤニヤしてしまう変なオブジェ、怖!と声が出てしまうアートを見ても、理由はやっぱり分からなかった。奇跡的な体験も当然、起こらなかった。


わたしはただただスペインを楽しんで感動して、そしてダリの美術館やピカソの美術館、グエル公園やサグラダファミリア、バルセロナの街並みにグッと来る度に「お母さんも一緒に来たかったな。楽しんでくれただろうな」と思うのだった。

*****

美術館を一通り楽しんだ後、せっかくだからフィゲラスでご飯食べて行こうとなり、良さげなバルを探してみんなで入る。

美術館の感想を語り合いながら、このスペイン旅行で何度目かわからないワインとタパスを飲み食べしていたら、バルの壁に描かれているおじさん二人の絵にふと気がついた。

右のおじさん、ダリじゃない?

お店の人に尋ねたら「この店にダリ来たんだよ」みたいなことを教えてくれて、さらにみんなで盛り上がった。

ダリを訪ねていった旅で起きた奇跡体験は、ダリが訪れたというバルに偶然入れたくらいか。


母が亡くなった後、とても悲しんでいた母のお友達が言っていた。

「わたしはあんなに純粋な人を、他にみたことがないよ」

生まれた時からわたしにとって母は母でしかなく、どういう人だったか考えたことがなかったので、その言葉はとても心に残っていた。

不思議で奇妙なオブジェが多いダリの美術館で、楽しみながらも感じたのはダリの妻、ガラへの切ないくらいの純粋さと愛情。

突然ダリに興味をもった母は、どこかに他人とは思えないほどの共感があったのだろうか。


結局、なぜ「ダリの生まれ変わりかも」と言い出したのかはこの先もずっと分からないままだと思う。今はもう、それでいいと思っている。

ダリの美術館に行けたことで、わたしは母を理解したかったわけではなく、ただ単純にもう少し一緒にいたかっただけだと思うから。

母が亡くなった後に実は赤ワインが好きだったことも知ったので、スペインで小さめの赤ワインを買って、帰ってきてから献杯をした。

いまでも姉と話している時、お母さんは何が好きで嫌いで、こう言う時はこうしてたよね、みたいな「お母さんあるある」を話すことがある。母がどう言う人であったのかを確認するように。

ダリ以外にも好きだったものもこれからも大切に辿って、母は何に心を動かされて、ときめいたり切なく思うことがあったのか。それに思いをめぐらせてみたい。

それがスペインのフィゲラスで母の前世に会いに行って、感じたこと。

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