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イーロン・マスクの矛盾

 イーロン・マスクに対する評価は世間は二つに分かれている。と言ってもそもそも評価が二つに分かれるというのは、おおよそ全ての有名人について言えることであるが、総人口のおよそ半々できれいに分かれ、賛否が拮抗するであろうという意味では、イーロン・マスクと、そしてドナルド・トランプの二人は特異な位置にいるだろう。

 ポジティブな評価は、例えば彼をイノベーターとして賞賛する。スペースXによる宇宙開発、テスラによる電気自動車の普及、そしてニューラリンクやハイパーループといった先端技術の開発を推進する姿勢が、彼のビジョンと実行力を評価する声を支えている。この立場からは、イーロンが人類の未来を見据えたビジョンを持ち、それを現実のものとするためにリスクを恐れず行動する点が強調される。ソーシャルメディアプラットフォームX(旧ツイッター)を言論の自由のために私財を叩いて買収し、リベラル的情報偏向を取り除いたことを評価する声も大きいだろう。

 一方で、「気まぐれな実業家」や「危険な思想家」として批判する声も大きい。この評価は、特に彼がXを掌握して以来、その経営手法や公共的発言、そして政治的立場に対して向けられている。彼の行動は、予測不可能であり、しばしば衝動的だ。陰謀論の拡散や、リベラリズム的価値観への挑戦として受け取られる発言は頻繁に批判の対象となっている。そしてその十分な熟慮に基づくとは思えない思惟の影響が、単なるSNS上の喧騒に収まらず、スターリンクによるインターネット環境をクリミア半島で提供するかどうかといった、超国家レベルの政治紛争にまで直結するようになっている。不安定な人間が世界を左右するという意味で、セカイ系的な世界観を地で行くような側面すら持つ。そして彼の企業の行動を強権的に実施するために、息をするようにパワーハラスメントを行っては、それがリークされている。

 少なくとも日本のX上では、この後者の評価が広がりつつあるように思う。「気まぐれによってツイッターの改変を繰り返し、陰謀論によって伝統メディアや個人やリベラリズム的価値観を徹底的に貶め、厨二病センス満載の謎の犬アイコンデザイナー謹製のAI生成画像を狂ったようにリポストし、サブスクとインプレッション数に基づく収益化の導入によりインプレゾンビを増やし日本のサブカルコミュニティの交流環境をぶっ壊しながら、ゾンビによって増えたインプレ数でXの成長を誇るマッチポンプ野郎」といった評価だ。

 しかし、本稿で真に注目したいのは、これらの具体的な事象そのものではなく、その背後に潜むイーロン・マスクの思想、そしてそこに潜む矛盾である(より正確にいえば、その思想を更にメタに包括するような総体についてある)。

 イーロンは、自らを「言論の自由の擁護」の実践者として位置づけ、Xをその象徴としようと試みている。彼の言葉と行動からは、既存のリベラルな価値観や伝統的メディアに対する挑戦が読み取れる。この姿勢は、ある種の新自由主義的な個人主義の精神に根ざしていると言えるだろう。彼がテスラをカリフォルニアからテキサスへ移した決断も、そして電気自動車への敵意を隠さないトランプへの支持表明を続けるのも、規制の少ない自由な環境での活動を志向する新自由主義的な価値観の延長線上にある。彼の指す言論の自由も、Freedom of speachというよりはLibertarianism of speachとでも評するのがふさわしいだろう。

 しかしここで浮かび上がるのは、そうした自由への志向と、彼の長期主義(Longtermism)的な理念との根本的な矛盾である。長期主義とは、未来の遥か先を見据え、現在の決定が何世代にもわたる影響を及ぼすことを考慮する倫理観である。効果的利他主義(EA)と呼ばれる思想の一つの極致であるとも評される。これは一見すると崇高な思想に思えるが、それを杓子定規に重んじ実践することは、個々人の自由や多様な価値観を犠牲にして、ある特定のビジョンを人類全体に強制する危険性を孕んでいる。

 たとえば、イーロンが火星移住を人類の未来として提唱するのも、この長期主義的な思想の現れだ。彼は、人類の生存の可能性を火星という未開の地に求め、そこに膨大な研究リソースと資金を投じることを推奨している。また、彼は日本の出生率の低下を嘆く発言を頻繁に繰り返している。これに対し「日本のような素晴らしい国や文化が滅んでしまうようなことを嘆いてくれている」と倒錯した喜びを見せる者も居る。しかしイーロンはサブカルオタクとしてそれなりに日本のことを気にかけつつも、究極的には人類の人口衰退そのものを恐れており、その具体例として日本を引用し、世界に警鐘を鳴らしているというニュアンスでこの発言を行っているのだろう。彼にとって人類は存続し、繁栄し続けるべき存在なのだ(そこにはSF的、ロシア宇宙主義的な想像力の影響もあるだろう)。

 人類が繁栄するのが望ましいという考えは、一部の悲観主義者や精神的な疲れを抱える人を除いてそこまで反感を買うものではないだろう。しかしそれを現在の意思決定に直接反映する長期主義の思想は、人類全体を特定の未来像に縛りつけ、その過程で異なる可能性や選択肢を排除することになる。これこそ、彼が掲げる「自由」と真っ向から対立する矛盾である。長期主義の根本である効果的利他主義が、そもそも選良主義的な左派思想(恵まれた能力のある人々が効率的に稼ぎ、そして慈善団体に効率的に寄付する)であることを思い出せばよい。それは容易に社会保障を重んじる大きな政府の考えと接続され、小さな政府と対立する。

 つい直近、2024年の東京都知事選が終了した。その選挙で第二位の得票数となった石丸伸二氏が日本の人口減への対策を問われ、「一夫多妻制やクローン技術などが実現されるくらいしかない」といった趣旨の発言を行った、として炎上した。これは悪意ある切り取りで、実際には「それくらいのことが起きるような大きな社会変化が起きなくてはならないが、短期のスパンではそのようなことは起き得ない。そうした根本的な大きな変化や対策の登場が起きるまで、社会を存続させることを現在の政策目標とすべき」といった、ある種のレトリックとして「実現不可能な政策」を挙げたに過ぎない。しかし「一夫多妻制」という言葉が独り歩きし、多大な感情的な反応を引き起こした。

 この大きな反応から、女性の権利の深刻な侵害に対する、現代の倫理基準の輪郭が浮かび上がる。女性の社会的権利、中絶の権利など、現役世代からその次の世代にかけてようやく当然になろうとしている尊い権利。人口を増やすべきというマクロの道理は、そうした権利を一瞬で吹き飛ばし、女性を「産む機械」としてカウントしてしまう。それこそ、クローン技術による出生が当然となる世代まで、人口の理論と女性権利の侵害の対立は存続するだろう。現在の生物学の前提においては端的に、人口を維持・増加させよという長期主義は、国家のような大きな物語や資本や大企業といったマクロの構造物の道理であって、個人の自由や権利といったミクロの道理は真っ向から対立するのだ。

 このような矛盾は、ある意味では人間の存在そのものを象徴しているとも言えるだろう。人間は本質的に矛盾を抱えた存在であり、自己の中に複数の相反する理念や感情を持ち、それを調和させるために絶えず葛藤している。イーロン・マスクの行動は、この人間の内なる矛盾を極端な形で表現している、と言うことができるだろうか。

 興味深いことにイーロンは、そのような矛盾それ自体について葛藤することはしていないように見える。彼はトランプを応援する一方で、平気な顔をして中国に対してもテスラを積極的に売り込む。単なるアメリカの国富といった右派的物語の愛好者にしてみれば、それは彼らの敵に利する左派的な行動にも見える。しかしイーロンはそもそもその視座で物事を見ていない、よって右派左派的な論陣から彼の一挙手一投足に一喜一憂するのは無意味である。

 概してイーロンには哲学的懊悩がないのだろう。彼は彼自身が信じる最低限の基本的な倫理的ルールに基づいて、世界を良くしようと行動を起こしている。そしてその実現の障壁をどう取り除くかを考えている。しかしその彼自身の基本的な倫理ルールが、そもそも正しいのかどうかについて悩むことは絶対にない。そんな時間は無駄だとすら考えるだろう。何故なら彼が考えるそれは「最低限の当然のルール」なのだから(「人類が繁栄するのが望ましいという考えは、一部の悲観主義者や精神的な疲れを抱える人を除いてそこまで反感を買うものではないだろう」と先述したが、彼にとってはそれはは、誰もが信じて然るべき論理なのだろう。自由が大事である、というのと同じように)。しかし、そうした葛藤抜きに作られた彼の思想は、確かに強い突破力はあるが、人間の心に寄り添うような懐の深さが存在しない。

 つまるところ、イーロン・マスクの思想の最大の問題は、その矛盾にあるのではない。矛盾を矛盾として向き合い格闘する、葛藤や懊悩といった人間的苦悩が存在しないことにある。人間は、矛盾によってただ構成されるのではなく、その矛盾をどのように包摂し統合しようかと苦悩することで生まれる。彼は、自ら以外によって人類が滅亡する可能性については非常に敏感だが、自らの恣意が世界を滅ぼす可能性についてはあり得ないほどに鈍感で無知である。


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