見出し画像

オレ吹参加への道のり

kyさん10000日ワンマン、ライブビューイングの休憩も兼ねて。

今回はTwitterで書いたことをほぼそのまま転記する感じになります。

思えば10年前

まず、これは他SNSでは書いてたけど…

オレオさんが「オレオ」と呼ばれた一年後くらいから、オレオさんとはTwitterで繋がっていました。
10年くらい前。
高校生の時点で彼は吹奏楽クラスタ上では異彩を放っていたのです。キラッキラしてました✨

そして、その頃、
「ねねねねバンド研究会」というLINEグループが立ち上がったのです。
やはり当時高校入学したての、中学時代吹奏楽TLでキラキラしていた少女が、高校ではTwitter禁止、でもLINEはいいよ、ってところから。
当時(今も)キラキラしてた何人かで盛り上がりました。オレオさんもそこへ。

余談ですが、その「ねね研」を立ち上げるきっかけになった少女は
今は立派なキャリアウーマンになりつつ

やはり彼女も昨日別の企画系演奏会に乗り、
さらに今日、高崎行きの切符を掴んだやはり今もキラキラな女性になりました!
本当におめ!!!

人当たりがよく、フットワークの軽い彼。

ねね研で仲良くなった人は、今も続いてる人、抜けた人合わせても本当にたくさんいて、オレオさんに関しては本当に濃密で、大学1年くらいで鹿児島に遊びに来てくれ、4年くらいでこちらも高知に遊びに行きました。

で、あの人当たりです。
関西進出してからもよく会ってたところから、オレ吹の話。

ねね研からのつながりがなかったら、
今の自分はこんな感じで音楽続けてなかった、
さらに、選曲リストの中にある、
カムサンデー
「出会ってしまった」
(この曲は本当に自分の人生を変えました。この曲への愛や思い入れは今後また改めて書きます)

やぎさんの鹿児島旅行の時期空港バス死んでたので送迎に行った

とか、いろんなことがあって

俺はオレ吹に出ることを決意しました。

で、仲良しのはかたせんせいにこんな演奏会があるって話をしたら、出るが、一回か二回は練習出ておこう、って話になって
オレ吹鹿児島組は拙い腕ながらも、しかも俺は昨年末まではアンコンでアルトサックス全振りだった後から練習…

これが参加までの経緯です。

で、実際の経験と心境は明日以降。

とんでもない世界に足を踏み入れて、沼ってしまったのは間違い無いです。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?