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32日目。おばあちゃんの入院

5/2(日)、0:32。もう明日になってしまったけれど、32日目として5/1の気持ちを綴ろう。

この数日、なんだかすごくいっぱいいっぱいで、noteに記録できなかった。夜はすぐに眠くなるし、昼間はそんなゆっくりしていられない。心が落ち着く暇もなく、早くこの世からシャットダウンすべく、ベッドに入った。

おばあちゃんは4/28(水)、入院してしまった。27日の病院で「急変に備えて」翌日から入院。ドタバタしながら準備して、わたしは結局明け方4時まで仕事をし、その日は休みをとって一緒に病棟まで見送った。この日の感情も忘れないうちに残したいと思いつつ、きっと忘れてしまうんだろう。書き残したいと思いつつ、そんな時間がとれないかもしれない。忘れたくない。ので、いったんメモ。

29日目である4/28(水)は、朝4時まで仕事して7時の電話で起きる。叔母ファミリーがおばあちゃんが入院する前に電話で一言話したい、と。すぐさま1Fへ降りていくと、おばあちゃんは歯を磨いていた。事情を話すと「喋れるかしら」と。そうこうしている間に、LINE電話がきてスピーカーにする。すると、久々かってくらい久々に、おばあちゃん、すごく大きな声で話していて。前のおばあちゃんの声量。ぜんぜん気弱な感じもせず、はつらつと喋っていた。びっくり。電話を切って疲れていたけど、精一杯、話したんだな。本当は二度寝をしたかったけど、おばあちゃんの部屋でおじいちゃんのイスに座ってお茶を飲んでゆっくり過ごした。なんかテレビを一緒に見ながら話していたと思うけど、どんな内容だったか思い出せない。悲しい。前日の夜に用意した犬のぬいぐるみと一緒に横になるおばあちゃん。「本当にこなちゃんみたいね」と笑っていた。おじいちゃんが起きてきて、私はおばあちゃんのベッドへ移動。ふたりが並んでテーブルに座っている姿が愛おしくて、こっそり動画を撮った。あまり朝ごはんは進まなかったようだった。支度をして車で約50分のがんセンターへ。座っているのがきついはずなのに、あまり息も苦しくなさそうで、あまり喋ってはいなかったけど落ち着いていた。車のミラーで確認すると、おばあちゃんは斜め上、窓の外を見ていた。車内では、両親と私が、やけにテンション高く話す。そうすることしかできなかった。みんな。これからの病院のことというよりは、くだらない話ばかりをして気を紛らわした。病院につくと叔母が車椅子を借りて待っていて、私も一緒に中にはいることに。母が手続きをしている間、私と叔母とおばあちゃんで待っていた。がんセンターには初めて入った。いかにもっぽい人もいれば、どっちが患者でどっちが付添かわからないような人もいた。ただ、みんな深い悲しを抱えていることは確か。胸が苦しく、すでに涙が滲んでしまった。トイレにいって涙をふき、ティッシュをポケットに1枚忍び込ませた。病棟には付添1名しか入れないとのことで、ついに見送る瞬間がやってきたと思ったが、病棟のフロアまで上がっちゃおう、となり。一緒に乗り込んだ。明るい声で話す。そしてエレベーターが開き、降りる。おばあちゃんとは笑顔で「いってらっしゃい」を言おうと決めていたのだけど、だめだった。手を握って、ぐっと握って、おばあちゃんも握り返してくれて、きっと私の不安が伝わってしまっていたと思う。おばあちゃんの手を握り、肩をだき、母がその様子を写真におさめていた。「じゃあ行こうか」と母に連れられて行ってしまった。マスクの下は涙をながしながらも「のんびに過ごしてね」と明るい声で見送るのが精一杯だった。エレベーターに乗り込み、叔母と降りる。父と合流し、近くの公園で自然に触れたりブランコに乗ったりしながら、母が出てくるのを待った。コロナなので病室には入れず、結局母もおばあちゃんの荷物の整理などはできなかったそう。コロナが改めてにくい。お見舞いもいけない世の中になってしまってにくい。帰りの車で、なんでもない話しをしながらもおばあちゃんを思い出し、不安になり、涙が一筋流れた。ランチをして、おじいちゃんの流水麺を買って、帰宅。夕方犬たちとはちょっと遠くまで散歩にいった。おじいちゃんにその日、どう話したかとかは覚えてない。お風呂の掃除をして、おじいちゃんにお湯をためてもらい、夜はおばあちゃんちでお風呂に入った。

4/29(木)は祝日で、カウントは30日目。朝から、おばあちゃんにと思ってネットで頼んだ、Aランクのりんごが箱で届いた。日曜に頼んだのに「間に合わなかったな」と落胆。そして午前中から古着を売りに行き、マフィンを買いに行き、薬局に行って、ホームセンターへ。おばあちゃんの部屋のじゅうたんを、フローリングにしたく、それの見積もりにいったのだ。下見にいかないとわからないけどざっと40万円くらいとのこと。本当はおばあちゃんが入院中にやり終えたかったのだけど、間に合わなさそう。GWだし、それは仕方ないなと思った。14:30すぎてしまい、夜に響いてはいけないとはま寿司で軽めのランチ。帰りにベトナム料理屋でちまきとベトナムコーヒーを買い、家に帰ってきてから母とマフィンと共にお茶をした。おばあちゃんがこんなことになって、ゆっくり母と買い物にいくことも、ランチをすることもなくなった。なんだかつかの間の休憩のような時間。おじいちゃんは朝ごはんとお昼ごはんは自分でぜんぶできる。様子を見に行かなくても元気。何よりだった。夕方、おばあちゃんのボディーソープの詰替容器を買いにダイソーへ。ポンプ式のこれ、固くないかな?と心配したり、なにか他に合ったほうがよいかな?と店内をふらふらした。写真立てを作ろうと思いつきフレームをかった。お会計が終わった瞬間、涙がでてきてしまったのを覚えている。何がきっかけだったかは覚えてないけど。またもやマスクの下を涙で濡らしながら駐車場まで戻った。コンビニにいって、犬たちの写真を印刷し、家で工作した。「おばあちゃん、待ってるワン!」というメッセージ付き。飾ってくれるといいなと心を込めて。ママは時より「おばあちゃん、お昼食べられたかな」「今日もごはんたべられたかな」「よく眠れたかな」と思い出したように口に出した。心配だよね、そんな規則正しい生活、栄養満点ご飯、おばあちゃん嫌いそうだし。どんな入院生活なのかわからないから、不安だよね。

31日目、4/30(金)。本当は休みたいくらいだったが、そうこうしていられず、この日は朝9時〜16:30まで休憩なしでぶっつづけで仕事をした。両親は病院へ行き、先生と面談的な感じ。そわそわしながらも、私は仕事をやるしかなかった。14時予約だったのに、おわったのが16:30くらいで、それからコストコによって帰ってきたので、両親の帰宅は19:40くらいだった。わたしは16:30で早退していたので、超遅めの朝ごはん&ランチを軽く取り、なんか久々にYouTubeとか見ちゃって、早めに犬たちの散歩に行った。犬1のうんちが手についたりしたな。おじいちゃんに「ママたちさっき病院終わったって。これから買い物してから帰ってくるから夜ご飯ちょっと遅れるかも!おやつでも食べててね」と夕方言いに行った。このときだったか忘れたけど「あまり気にしないでいいからね」と言われた。そんなこと言ったって、気にすることはやめられないのだけど。おじいちゃんなりの気遣いとかなのか。補聴器もつけいていて偉かった。夜はコストコのお寿司をたべた。おばあちゃんは29木の夜から呼吸が楽になるようにと、なんだっけ、ボンベみたいなの背負り始めたみたい。鼻からくだをいれて。考えただけでおえっとしそうだけど、楽らしい。昼間、家族ラインに、ピンクのパジャマ、ピンクのカーディガン、ピンクの靴下にピンクのニューバランスを履いたおばあちゃんが、ピースをした写真が送られてきた。そこには酸素マスク(思い出した)がついていて、THE病人みたいだっけど、それが楽ならありがたい。少しでも楽な暮らしができるといい。おばあちゃんには、前日つくった写真立てに加えて、手紙と、こっそりカットしたりんごも差し入れでいれたみたい。りんご、食べてくれたかな?写真立ては飾ってくれたかな?病院の先生には、3種類の治療を提案されたらしい。いわゆる抗癌剤が2種類と、ステロイド剤の治療。前者2つは年齢的にも体力的にも厳しいので、ステロイド剤を始めることにしたそう。効果はすぐに出る場合もあれば、だいたい2週間とからしい。次の面談は5/11。思った以上に後だった。

そして本日32日目。5/1。日付変わって、5/2の1:20になってしまった。感情やできごとに抜け漏れはありつつ、どうにかこの数日を思い出して書いてみた。

昨日は23時前にはベッドに入ったので、今日は朝8時には自然と目が覚めた。今日はおじいちゃんの病院へ送り届けるというミッションの日。朝10時出発で病院へ一緒にむかった。出発寸前、補聴器の件でママとバトルがあったみたいだけど割愛。病院へ送り届けて10:20、コンビニへいき(駐車場で地震を感じておばあちゃん大丈夫かなと不安になる)10:40、おじいちゃんの病院へ戻る。「待って無くていい」と言われてしまったので、おじいちゃんには「わかった。送るだけね。気をつけて帰ってきてね」ということになっていたが、やはり93歳のおじいさんに15分徒歩で駅まで向かわせ、電車にのらせ、おそらくスーパーによって帰らせるわけにはいかない。「行きたかったお店がお休みだったから、駐車場でパソコンやってたよ」という嘘をつき、帰りも乗ってもらった。おじいちゃんが待てど暮せど戻ってこないことを心配しながら50分後、おじいちゃんは無事にでてきて一緒に帰ることができた。スーパーに一緒にいって、久々に並んで買い物。いつぶりか思い出せないくらい久々。お決まりのバナナ(しかも2袋)と長ねぎ、肉まん&あんまん、流水麺をかごにいれ、今ハマっているハーゲンダッツ2個と広告の品だったシャウエッセンを買ってもらった。おじいちゃんとの買い物も貴重すぎたので、動画をこっそり回した。

家に帰ると叔母ファミリーがきていて、草むしりをしてくれていた。洗濯物を干して(乾いていた洗濯物、今おじいちゃんが寝ているおばあちゃんのベッドに置きっぱなしにしてしまったこと思い出した)、おばあちゃんちのお風呂のタイルをパテでなおし、ランチに。帰ってきて眠くなり中二階で犬たちとウトウト。2階では、昨日の先生との面談の話や、今後の入院の話などを叔母ファミリーとママでしていた。おばあちゃんが「最期が家だと家族が大変。病院がいいと思ってる」と話していることを知った。けど、今の病棟は一時的に入るところで今後長くはいられないそうで、近所の老人の病院の緩和病棟?にうつるかとか、選択肢がいくつかあるそう。けど、一度退院して、次入院することになったら戻ってこれないかもしれない、と。要するに、次退院して家に戻ってきたら、最後のおばあちゃんのおうち暮らしが始まってしまうのだ。いろいろ考える。つらすぎる。

ここ数日、本当に辛いのが、人間も犬も、最後は最期がくるのだと、つきつけられたこと。心がもたない。これまでも父方の祖父母や、親戚が亡くなった経験はある。けど、ずっと同居してきた祖母のコレや、今後いま元気に暮らしている大事な家族たちには、あたりまえのように最期がやってきて、こうやって小さくなっていくのが実感してしまうと、恐怖でしかない。私の心はもつのだろうか。もちろんみんなそうやってきっと乗り越えてきているのはわかる。けど、本当に怖くてしかたがない。

1:36、養命酒のせいか、部屋のせいか、とても熱い。ちょっと疲れたのでいったんとめる。おばあちゃん4人部屋なのに同室にはおばあちゃん含め2名しかいなく、そのもう1名のおばあちゃんがおそらく認知や、重症らしく喋り相手がいないらしいのだけど、(一人部屋は寂しいからと大部屋にしたのに)そのおばあちゃんのことなんかいったん無視していいから、ゆっくり眠れているといいな。(29日の夜、おばあちゃんがナースコールよんであげたらしい)ごはんも食べられているといいな。5/11までは良好で、早く帰ってこられるといいな。

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