見出し画像

成長する感情

少し前に放送していたドラマ、
「大豆田十和子と3人の夫」が大好き。

その中でも2話の最後で、
十和子が離婚した2番目の夫に言った

「別れたけどさ、
今でも一緒に生きてると思ってるよ」

って言葉にぐっときた。

と言うのもそのまま、この台詞を
届けたい人がわたしにもいるからだ。

無題2

でもその人とは、楽しい時もあった
けど意見が食い違うことも多かったし、

何より今は10年以上も疎遠状態で、
今さら再会するキッカケすらない。

だけど、それはそれで良くって。

とても思い入れのある人だからこそ、

会えなくても、同じ熱量じゃなくても、
思った通りに行かなくても受け入れたい。

そのままのその人がいるだけと言うか‥

好きって気持ちが洗練されると、
最後は相手に何も望まなくなるみたいで。

長い時間を掛けて、
複雑な感情をこねてこねて、

「あなたがした選択の全てを尊重したい」

そう思えたとき、

良い意味では、自分のエゴとの
戦いに新たな展開が生まれた瞬間であり、

一方で、わたしからは相手を嫌いに
なれない降参の旗を上げた瞬間でもあり、

この感情と一緒に生きていく限り、

「別れたけどさ、
今でも一緒に生きてると思ってるよ」

状態はずっと続いていくのだと思った。

画像1

そして気が付いたのは、

わたしの人生の重要人物は
誰かではなく、わたしだってこと。

もし明日、偶然にあの人と再会しても、
また同じことを繰り返してしまうなら、

やはり一定の距離感を保つ必要があるし、

あなたの全てを尊重し大事に思うように、
自分のことも尊重し大事にしてあげたい。

誰がいてもいなくても、大丈夫。
わたしさえいれば、生活は続いていく。

はな

最終話で十和子が言った、

「わたしの好きは、
その人が笑っててくれること。

笑っててくれたら、あとは
もう何でもいい。そういう感じ」

って台詞のように、

やっぱり大事な人には笑っていてほしい。

なにがあってもなくても、

誰かを必要として、
わたしを必要としてなくても、だ。

そして”その人”に当てはまるのは、
大事な他人だけじゃない。

誰かを大事に想うように、自分にも
純粋な好きの気持ちを向けてあげたい。

わたしにも、笑っていてほしいのだ。

そうやってわたしの生活は続き、
新たなドラマは展開されていくのかな。

過去でも未来でもなく、
今を生きて、楽しみたいね。

ではまたね。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?