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3年間付き合って、はじめて名前を呼ばれた話。(後編)

4月、新しいクラス編成の時期がやってきました。
また、A園のお話になりますが、
クラス編成は毎年行い、
同じクラスのまま持ち上がることはありません。
ここは保育園と異なるところですね。
年齢も縦割りで、
その年ごとのベストのクラス編成を行うのです。
園長や副園長は毎年頭を抱えていましたが、
最後にGOを出すのは園長です。
ただ、今まで一度も子の編成に不満があったこと
はありません。
やはりそこは、さすが園長、という感じがします。


結論から言うと、
またS君を受け持つことになりました。


もっと言うと、
合計3年間、S君の担任をしました。


先程、クラスの持ち上がりはないと言いましたね。
クラスの持ち上がりがないだけで、
子の持ち上がりは意外とあるのです。
4年も付き合えばそれなりに人間関係…。
S君と私もそれなりの人間関係を築いた訳です。

ここで、S君についてお話ししていないことが
あったのでお伝えしますと、
S君はほとんど発語がありません。
意思はあるのですが、発語ができないのです。
発声はできます。
ちなみに発語は、語を発するなので少なくとも単語を発していることが発語となります。
発声は、声を発することなので単語でなく、声を発していれば発声です。

「あー」「うー」と、母音のみ発声が可能です。
2年目の終わり頃、
ようやく言えるようになった言葉は
「ママ」と「パン」でした。

意思はあるのに発語がないとどうなるのか
考えたことはありますか?
フラストレーションが溜まるんです。
伝わらなくて、もどかしいんです。
発信する方と受け取る方、どちらもそうですが、
やはり、発信する方の負担が大きいのではないでしょうか?

伝えたいことがどうしてもうまく伝わらない、
要求が通らない、
こんなに伝えてるのに見当違いなことを言ってくる、
全部がまぜこぜになって限界になった時に、

S君はパニックを起こすのです。

高い声で叫びながら、泣き続けます。
おもちゃやティッシュを口に詰め込もうとします。
一度パニックを起こしたら、長い時間おさまりません。

場所を変えてクールダウンを促し、
S君の気持ちが落ち着くまで見守りながら待ちます。
不要な声かけや関わりはせず、
ただただ静かで刺激の少ない環境を作り
落ち着くのを待ちます、どんなに時間がかかっても。

そんな様子を側から見ていた
いじわるな非常勤の先生や、
お局的上司(害悪)から、
「ほったらかしにして…」と
ご意見を頂いたことがあります。
某リーダーのお言葉をお借りすると、
「素人は黙っとれ」
に近い気持ちでいたような記憶があります。
経験値から言えば私の方が若造なのは
明確でしたから、素人は黙っとれは不適切。
「通りすがりは黙っとれ」
ですね。
だって、通りすがるだけなんですから。
ごちゃごちゃ言って通りすがるだけで、
何も解決してくれないし。
道端で小言を言うよく分からん人と同列です。
あんた誰!ってね。

話が逸れてしまいましたね、
子どもを育てる人は皆すごい!
ということです。

納得のいかないことがある度に、
S君はパニックを起こしましたが、
繰り返せば繰り返すほど
パニックから復帰までの時間が短くなっていきました。
成長しているのです。
毎日やっていることといえば
やりとりをして、
パニック起こして、
クールダウンを促して、
の繰り返し。
ゆっくりだけれども、S君は大きくなっていきました。

3年目の冬、
S君は真似っこがとっても上手になっていました。
真似っこが出てくると、
どんどんいろんなことができるようになる子が
多いように感じます。
S君も例に漏れずそうでした。
口の動きを真似するようになったのです。

「い、ち、ご」
『い、い、お』

「つ、み、き」
『つ、い、い』

「せ、ん、せ、い」
『え、ん、え、い』

「パン!」
『パン!』

パンだけはいつ聞いても完璧でした。


さ行やま行は口の動きを見せながら
毎日一緒に練習すると、
徐々に発音できるようになってきました。
ただ、か行は喉を使って発音してるので、
説明が難しく本人もなかなかわからないようでした。
それでも、真似っこだけでも、単語だけでも、
不明瞭ながら自分の気持ちや要求を
言葉にできるようになってきて本人や担任は
とても嬉しく思っていました。



そして、その日は突然訪れました。


S君はいつものように絵本を持ってきて、
私に言ったのです。



『おおか、せんせい!』
『こえ、よんえ!』



「ももかせんせい、」
「これ、読んで…?って言ったの…?」

『おおかせんせい!』
『おおかせんせい!』

そうだ!そう言ったんだ!と言わんばかりに
私を指差しながら何度も言うのです。
秒で泣きました、私が。
3年間、ほぼ毎日4時間、
一緒に過ごしてきてはじめて、
はじめて名前を呼ばれた時の感動は
私を一瞬でぎゃん泣きさせました。


私にはその時子どもはいませんでしたが、
子どもに名前を呼んでほしいお母さんの気持ちが
仮初めでも少し分かった気がしました。
本当に嬉しかった。
パニックの時には噛まれ、叩かれ、蹴られ、
(こんなに一生懸命やっていますがどうですか…)
(落ち着くまでもう少しかかりそうですか…)
(付き合いますよ、でも目だけは狙わないで頼むから…)
祈るような気持ちで、
パニックをおさめようと必死に関わってきました。

それは今思い返すと愛でした。
自分の子ではなくても、
S君に向けていたそれは確かに愛でした。
気持ち悪いやつじゃないですよ?
担任から教え子への愛です。
愛が返ってきた、なんて思ってしまいました。


3年間、向き合って愛を伝え続けたら、
はじめて名前を呼ばれた話。

でした。
長々とお付き合いくださりありがとうございました。
こんなへたくそな文章を読んでくれる人がいるとは
到底思えませんが、
もしいたのだとしたら感謝を伝えさせてください。
ありがとうございます!

※補足※
プライバシーを心配されたそこの貴方、
優しい方ですね。
ご安心ください、ここに載せるお子様のお話は限りなく実話に近い作り話です。
名前やその子の様子等、所々にフェイクがあります。
安心してご覧ください。

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