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ドキュメンタリーって、もっとドラマチックだと思ってた【088】
こんにちは。おいもです。
「ドキュメンタリーブログ」ということばを知っている人は、どのくらいいるのでしょうか?
ぼくはjMatsuzakiさんのブログ記事で初めてその言葉に触れました。
jさんに影響されてドキュメンタリーを意識したブログを書いていらっしゃる方も何人か知っています。
ドキュメンタリーブログとは、個人のドキュメンタリー(記録)を書き記したブログのこと。
ぼくは、その人に起こった出来事や変化の記録をブログ記事として綴ったものという解釈をしています。
これを知ったとき、ドキュメンタリーブログというものがなんだか輝かしく見えました。
ぼくもやってみたい!と思って、実際にWordPressのサーバーをレンタルして書こうとしてみたこともあります。
でも、なんだか思っていたのと違うものしか書けなくて、こんな感じだったっけ?なんか違くないか?と違和感を拭えないまま、途中でやめてしまいました。
そもそも「ドキュメンタリー」とは何なのか。
元来はラテン語の「証明書」という言葉に由来し、「文書の」「記録的な」という意味を持っている言葉だそう。
現在では「ドキュメンタリー映画」などといった、とあるテーマに関しての記録作品としてこの言葉が使われることが多いと思います。
なるほど、いうなれば「ドキュメンタリーブログ」とは、個人の記録をテーマを持ったブログ記事という作品として世に出したものなのかもしれません。
つまり、ドキュメンタリーの原点は記録、ということになるでしょうか。
かつて「ドキュメンタリーブログ」に憧れた頃のぼくは、ドキュメンタリーというものはもっと、ドラマチックで胸が熱くなるような劇的な展開が約束された、まるでハリウッド映画のようなもののように思っていました。
ドキュメンタリーブログとして自分のことを書いておけば、自分の人生もきっと面白くなるのだと、そう思っていたのです。
でも、実際には違いました。
まぁ、今考えれば当たり前のことなのですけれど……。
自分の記録がドラマチックで劇的になるかどうかは、自分自身にかかっているわけで。
ただただ毎日をやり過ごすだけの自分をただ記録するだけなら、そりゃあ面白味なんて見つけられないわけで。
何もしないままのただの事実記録から、ぼくが思い描いていたドラマチックなことなんて、見えてくるわけがなかった。
ドキュメンタリーが面白くないと言っているわけではありません。
ドキュメンタリーというのはきっと、地道に綴り続けた「記録」の中に、自分の中の葛藤や変化といったテーマを見出し、それを誇張にならない程度に演出して記したもの。
記録すること自体は、地味で泥臭く思えて、面倒になるかもしれませんし、面白くも何ともない時間のほうが多いかもしれない。
でも、それをひたすら続けていった先で、いざ自分の記録を振り返ってみたら、「何か」が見えるのだと思います。
その「何か」こそが、ドキュメンタリーになりえるのだろうな、と、今は考えています。
今のぼくは、地道な記録を続けている最中です。
正直、途中で飽きたりもするし、やめたくもなります。
でも、コツコツ、コツコツと記録し続けて、ふとしたときに振り返ったら、きっと何か、財産になるものが見つかるのだと信じています。
それが、かつて憧れたドキュメンタリーになるのかどうかはわかりませんが、自分で自分が誇れるくらい輝かしい何かであったらいいな、と思います。
ここまで読んでいただきありがとうございました。
またどこかでお会いできますように。
おいも
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