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【第3回】陸上部で学んだこと

こんにちは。大池こういちです。

今回は高校時代の部活動・陸上競技部の思い出について書きたいと思います。

リトルリーグ、中学軟式と野球少年だった私は走ることが得意だったこともあり、高校から短距離200m、400mの選手として本格的に陸上競技を初めました。

恩師は故・佐久間紀郎先生。白石高校、筑波大学を卒業し、現役時代は跳躍の選手として大活躍した名指導者です。

先生が私達に教えてくれたことーー。
「陸上競技は〝記録ではなく競技力〟が大事。速く走るためには、遠くに飛ぶ・投げるために人はどんな動作が必要か?どんなトレーニングが必要か?メンタルは?それを求め抜く競技力が何よりも大切」と。

ただ速ければいいのではない。陸上を通し、人間として何を学んでいるのか…。これまで探求し続けてきた佐久間先生だからこその名言だと思います!

話は変わりますが、
私のベストタイム(高校時代)です。

100m 11秒14
200m 22秒74
400m 49秒69(高2・新人戦県大会優勝)

※陸上部出身の方はタイム感覚があると思うので、ぜひ、参考にしてみてください。

私が県大会(公式レース)で初めて優勝したのは、中学3年で出場した通信陸上宮城県大会(200m)でした。

通っていた船迫中学校は陸上部が無かったこともあり、校内で選抜記録会を行って柴田郡大会に。郡大会で優勝(当時、24秒2は郡新記録でした)し、標準記録を突破したため通信陸上大会に出場しました。

恥ずかしながら、アンツーカー(土←つち)以外のタータントラック(オールウェザー)で走るのは初めての経験…。学校から借りていたスパイクも、ピンの種類が違うからと直前で交換し、ぶっつけ本番で臨みましたが、見事200mを23秒32で走り優勝することができました。当時、全国大会出場の標準記録23秒00を切ることはできませんでしたが、大きな経験になりました。

中総体の県大会では同200mで2位に。山形で開催された東北大会に出場することもできました。

その後、ありがたくも、県内の陸上強豪校から推薦の話しも頂きましたが、地元・白石高校に進学。上記で紹介した佐久間先生の指導のもと、3年時には陸上部の主将として、400mを中心に競技してきました。

忘れらないレースがあります。高校2年の県総体の決勝で 、1学年上の先輩・泉館山高校の堀籠佳宏さんと走ったことです。

堀籠さんは高校卒業後、日体大に進学し、世界陸上や北京オリンピックなど、日本代表として数多くの大会で活躍した尊敬する先輩です。

私の記憶だと…レース前の招集場で「調子はどう?まだ2年だし頑張れよ」と声を掛けてもらった記憶があります。もちろんレースには敗れましたが、振り返ってみた時、凄い人と一緒に走ったんだなと感動を覚えます。

当時、各高校には実力ある選手が沢山いました。同期ではインターハイ100mで入賞した橋本祥(柴田)、同じく走り幅跳びで入賞した八島(柴田)、一つ下の学年には現仙台育英高校・短距離の菅原新先生、一つ上の東北高校の先輩方はマイルリレーで全国トップクラスでした。

私は高3最後の県総体で、残念ながら個人種目の400mは2位。4×100mリレーでは、申し訳ないことに私のミスで決勝7位(6位まで東北大会)、4×400mリレーでは、ギリギリでしたが決勝6位で東北大会に出場することができました。個人・チームともに、インターハイまでは届きませんでしたが、伝統の白高陸上部に新たな歴史を残すことができました。

顧問の佐久間先生から教えてもらった〝記録より競技力〟。振り返って、身体の使い方では、佐久間先生が考案したミニハードル、松村卓先生には初動負荷の理論について教えて頂きました。また、最後まで諦めず挑戦する心、チームワークなど、心身共に鍛えてもらった三年間だったと思います。本当にありがとうございました!

今後、故郷・宮城を舞台に新たな挑戦を決意した一人として、お世話になった方々、総じて陸上競技へ恩返しする活動を行っていきたいと思っています。

これからも、よろしくお願いします🏃

P.S  私は昭和56年生まれです。同世代で陸上をやっていた方がいれば、ぜひ、コメントください📝

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