そのにわとりさんに平安があるように


私は肉は食べないけど卵はいただくのですが、
基本的には平飼い卵を買っています。

でも少し前、
平飼いではない安い卵を買いました。
(平飼い卵は、そうではない卵よりも値段が高いです)

その自分に感じるものがあったのですが、
その卵をいただく時もやっぱり、
「これは平飼い卵ではないんだよなぁ」
と思っていました。
 
私は野菜と融合したことがありまして、
それ以来、料理をする時、食事をいただく時、
目の前のその存在に意識を向けて祈るのですが、
その卵を前にして意識を向けた時に、
とても意外な思いが私の中に生まれたのです。

「この卵を産んでくれたにわとりさんは
太陽の光が入らない小屋で、
他のにわとりさんたちとぎゅうぎゅうな環境で
一生を生きているのかもしれない。

そのにわとりさんの人生の中に、
少しでも平安があるように」

食事の時にこんなことを思うなんて、
全く思いがけないことでした。

少し話が飛びますが、
肉もそうですが、
卵や肉の生産は、
多くが命として扱っているとは言えないような
もののようです。

殺される時、その動物は絶望して泣くとか。
数年前にビーガンフェスに行った時に
そういうことを発信しているブースがあって、
現場の写真も見てとてもショックを受けました。

命として全く尊重されないまま生きて、
その先に「死」という絶望があるだけの人生。

ペットになる動物は
助けてくれる人がいるかもしれないけど、
肉になる動物は
そこから逃れられないんですよね。

私たちは、スーパーに並ぶ食品がどのように
生産されているのか、
知る機会があまりないですよね。

「肉」の前に、命と尊厳のある動物です。
人間の幸せは、
動物の犠牲の上にしか成り立たないものではないと思います。

私も肉を食べてきたし、
肉を食べることを否定したいのではありません。

でも、命としてのその動物に
意識を向けることなく、
食べ放題みたいなのはどうかなと思うのです。
今もあるのかな?焼肉食べ放題なんて。

命に重いも軽いもないと思うけど、
私は蚊が寄ってきたら殺します。
ゴキブリは、出たら殺すかもしれない。
どちらも部屋にいたら安心できません。
その辺は曖昧にしておきたいところですが…

(中途半端な感じですが、続きが思いつかないのでこのまま投稿します)

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