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『ファーザー』

根源的不安

私たち人間は、自分の根底に何があるかは知らないものです。そして、自分が強い時、無意識の内に戦っており、自己防衛をしているものです。自分が生きる意味を探したり、自分の居場所を確保していたりしているのだと思います。

「子宮願望」という言葉があります。人間は誰しも生まれる前は、母の子宮の中にいました。それは「誰しもが子宮に守られていた」と言っても良いかと思います。栄養はもちろんですが、多くの場合は、愛情も与えられていたのだと思います。子宮願望の裏には、そういう事実があると思います。

そして、子宮の中にいる時は、他人とか、社会という外部とは関わらないですみます。子宮の中にいる時の胎児には、コミュニケーション能力も備わっていないので、当然かもしれませんが、私たちは子宮を懐かしく思うのだと思います。

母親に愛をもって育てられた場合、「高齢になると赤ちゃん返りする」と言われたりするのは、「子宮願望」と無関係ではないように思います。

認知症

私はさしたる情報を得ぬまま映画を観ます。そのことで、大体の場合、困惑することはないように思います。でも、『ファーザー』という映画は、誰もが観ながら困惑するだろうと思います。

ネタバレになることを承知で書かせていただきますが、映画の最後まで観て、今まで観てきたものはすべて、認知症になった高齢者(ファーザー)が見ていたものであることが分かるのです。

そして彼は、「自分が訳が分からない人間になってしまった」ということをウッスラ感じ、不安だからこそ、絶対的な保護者である「お母さん」と言いつつ、看護師の女性の胸に顔をうずめるのです。そこが自分の居場所であるかのようにです。

不安

私たちは根源的不安を抱えているような気がします。自分は敵に囲まれている、自分の周囲の人は自分に危害や損害を与える人だ、自分は高齢ゆえに、それに対抗できない。そう思えば、非常な不安や恐怖を感じるだろうと思います。

多数派に属する「普通の人々」あるいは「正常な神経」の人々は、認知症の人々のようには見えないし、自分に危害や損害を与えそうな人々と戦ったり、避けることも出来るでしょう。

そのことを基準にしていきますから、認知症の人を初めとする少数派の人々の居場所を失くしていく方向に向かっていくのでしょう。そして、いつ何時自分も認知症になるかは、誰も分からないのです。

自分の周りにいる人が自分の味方であるか、敵であるか、それは「人間の居場所」にとって重大なことだと思います。

コインロッカーベイビー

今から随分前のことですが、1970年代から「コインロッカーベイビー事件」と呼ばれる殺人事件が連続しておきました。母親が駅のトイレで赤ちゃんを産み、新聞紙にくるんでコインロッカーに入れてしまうという事件です。

当然、女に妊娠させた男はとっくのとうにトンズラしているのでしょう。彼もまた居場所がないからこそ女性を性欲の処理道具にしているのかも知れません。もちろん、女性もまた一時の快楽の中に永遠のものを見てしまう錯覚に陥っているのかも知れません。事情は、全く分かりません。

私は当時高校生でしたが、この事件を知って、大きなショックを受けました。赤ん坊が、母親に抱き締められ、愛された時間が少しはあったとしても、この事件を受け止めることは耐え難いことです。また、そういう時間があってもなくても、悲しい出来事に違いありません。

胎に新たな命がいると分かった時の、母親の気持ちはどんなだったんでしょうか。共にその命を愛おしむ男性は、その時既にいなかったか、後にいなくなったかは知りませんが、女性が駅のトイレで出産する時、いなかったことは事実です。

女性が、出産した子をコインロッカーに入れて逃げ去る時も、男はいなかったでしょう。そして、その女性は、この世の何処にも自分の居場所はないと思います。

この子は、母の子宮にいる時から誰からも愛されず、地上に生れた時は、コインロッカーの闇の中で息絶えることが決まっていたのかもしれない。そういう命がある。余りのことに、言葉がありません。

その子が生きる理由はあるのでしょうか。その子が生まれてくる理由があるのでしょうか。母の胎にも、この世にも居場所がないこの子は、生まれながらに死ぬしかなったのでしょうか。少なくとも、その子自身が、生きる理由とか、生きる意味とかを探すことはありません。

彼、或は、彼女の叫びを誰が聞くのでしょうか。誰が、その存在を受け止めるのでしょうか。

認知症の人も、重度になれば、自分で生きている意味や生きていく理由を探せなくなります。そして、中には共に生きる家族がいない場合もあります。

そういう場合、その存在を受け止めてくれる存在はあるのでしょうか。その人の居場所はどうなっているのでしょうか。分からないことが沢山あります。


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