副市長就任にあたっての思い(と自己紹介)
ずいぶん前のことですが、登庁初日に就任式があり、市議会や市職員の皆さまに向けて、ご挨拶する機会をいただきました。少しでも実務に役立つように考えて、お話ししたのはこんな内容です。
これは、自分自身に向けたメッセージでもありました。私が前職でも大事にしてきた姿勢であり、環境が変わっても忘れないようにするためです。いまでも日々振り返るようにしています。
これから、重要政策の実現に加えて、ボトムアップでの行政サービスの継続的な改善に取り組んでいきたいと考えています。例えば早速4月には、試験的にひとつの事業でNPS(顧客推奨度の指標)を取得しました。
市役所の"ユーザー"である市民の皆さまの声を基に、よりよい行政サービスをつくっていきたいと思います。
さて、ここからは私の自己紹介記事です。あまり自分のことを話すのは得意ではないので、どうぞご笑覧ください🙇♂️
自己紹介
私は「ちゃんと課題解決になることをしたい」というフレーズを口癖のように使っています。それは、表面的に良さそうなことではなく、ユーザーにとって本当に役立つものこそ意義があり、それを追究したいと考えているからです。
こうした思いを抱くようになったのは、私自身のいままでの経験にきっかけがあります。今回は自己紹介として、そんないままでの経験を書いてみたいと思います📝
公共分野への興味のはじまり(幼少期)
私の出身は神奈川県横浜市です。実家は商店街で食料品店を営んでいて、幼い頃に両親や祖母と一緒に店番をしていた頃の思い出がよく残っています。
でも、不況や大型スーパーの出店が経営に影響し、小学生低学年の頃にお店は閉めざるを得なくなってしまいました。こうした苦労もあったためか、両親は教育熱心で、国際機関が主催する紛争や貧困などに関するイベントによく連れて行ってくれました。
私はそうした分野に素直に興味を持ち、小さい頃からニュースを見たり新聞を読んだりするのが好きになりました。(小学生の頃は「平和クラブ」という係を新設して書き損じはがきを集めて募金したりしていました。)
当時も政府に対するバッシングが強かったこともあり、幼心に「自分が何か変えてやるんだ!」と思っていました。
形を変えながら、この頃の思いがいまもずっと続いていると感じます。小学生の頃は外交官になりたくて、高校生の頃に具体的な進路を考えている中で「官僚になろう」と決めました。
ボランティア活動とその反省(中高時代)
自分も何かできることがしたい、という思いから、中学に入学してすぐ生徒会でのボランティア活動に取り組み始めます。海岸清掃をしたり、募金活動をしたり。学内外の仲間と一緒に活動するのは純粋に楽しかったです。
ただ、卒業を間近に控え、改めて活動を振り返ったときに「自分自身の活動は本当に誰かの役に立っていたのか」と疑問を抱きます。無駄ではないけれど、かといって誰かの苦労を本当に解消するほどの成果には至っていないのではないのかと。
恥ずかしながら、活動していたときにはあまり深く考えられていなかったのだと思います。
たとえ表面的に良さそうなことでも、あまり課題解決にならないことをすると、後から自分自身が後悔することになる。このことは、私が中高での経験から得たひとつの教訓です。
行政のデジタル化との出会い(大学時代)
そんな反省もあり、大学入学後は「少しでもちゃんと社会課題の解決につながることをしたい」と考えていました。当時、ソーシャルビジネスが話題だったのもあり、入学後には、民間企業での長期インターンや、政策提言のゼミでの活動などに注力していました。
そんな中で、大学3年生の頃に出会ったのが「行政のデジタル化」という分野です。きっかけは偶然NHKの番組で見た、ジェニファー・パルカさんの「コーディングでより良い政府を作る」というTEDのプレゼンテーションです。
彼女はアメリカでCode for Americaという団体を組織して、エンジニアたちが行政機関や地域に送り出し、ソフトウェアを開発する、という取り組みを行っています。
「変わるのを待つのではなく、自ら解決策を創造していく」という姿勢で、スピード感のある課題解決に取り組んでいることに、私は衝撃を受けました。
自分も、こんな課題解決をしてみたい。そんな思いでさまざまな団体に出入りするようになり、日本版のCode for Japanや地元横浜のまちづくりNPOの活動にとにかくひたすら参加するように。
このときからずっと、さまざまな形で行政のデジタル化に関わり続けています。
こうした活動の中で抱いた「いろんな自治体が競争したり協力したりしながら、スピード感をもって良い政策を目指していく、地方自治は面白い!」という思いを胸に、地方自治制度を所管する総務省に入省します。
マイナンバー制度と行政のデジタル化(総務省時代)
総務省では、大きな組織の中でリーダーシップを発揮する方法や、官僚としての矜持を教えていただくなど、貴重な経験をさせていただきました。
ありがたいことに、担当はまさに「行政のデジタル化」の本丸であるマイナンバー制度でした。何より視野が広がったのは、行政のデジタル化に熱心に取り組む自治体職員さんたちとの出会いです。制度の意義を教えていただきました。
一方で、自らソフトウェアを開発して課題を解決する、というアプローチへの憧れが忘れられず、友人と一緒に自らソフトウェアを開発していました。(サービス自体は既にクローズしています。)
このとき作った報告書横断検索サービスは、いろんな方に注目いただいたりもして、自分で手を動かすのはやっぱり楽しかったです。
一方で、本業の忙しさから継続的にアップデートし続けるのは難しく、もどかしさも感じていました。
グラファーとの出会い
そんな中で目にしたのが、株式会社グラファーというスタートアップ企業が1.8億円を資金調達をしたニュース記事です。グラファーは、行政手続きを効率化するプロダクトを既に実装していました。
遂に、日本にも行政のデジタル化を目指すスタートアップ企業が出てきた。そのことに心を躍らせると同時に、ずっとこの分野に関わってきたのに、その場に自分がいないことを悔しく感じたのが正直なところです。
思い切って転職するかどうか。自分自身も、流石に3年で総務省を辞めるとは全く想定しておらず、とても悩みました。
でもどうしても、「プロダクト開発による課題解決に全力で打ち込みたい」という思いが強くなり、2020年7月にグラファーに転職しました。(ちなみに「なんでもいいので雇ってください!」と言って転職したので、入社時はアルバイトからのスタートでした。)
グラファーでの仕事はとにかく楽しくて、ひたすら仕事に打ち込んでいました。ビジネスとしての成長を目指しながら、市民や自治体にとって最も良い課題解決に集中して、プロダクトをつくっていくのは、まさにこれだ!という感覚がありました。
ビジネス職として入社して約2年が経つ今年、実は私が新年の抱負に掲げていたのは「今年こそエンジニアになる」ことでした。入社時からずっと開発側の仕事がしたくて、今年こそ、その目標を達成しなければ…!と思っていた矢先。
村田はるかぜ市長から副市長就任のオファーをいただきました。
副市長への就任
まったくもって予想外の出来事で、最初は本当に驚きました。
ただ以前から、グラファーの仕事の中でも、更に深く課題を把握するために自治体に常駐して伴走支援する案件はできないか、と考えていました。そんな私にとって、自治体側で働く機会をいただけるのは、願ってもない機会でした。
私に務まるのだろうか、という思いもありました。そのときに後押しになったのは、村田市長の掲げる「市民は顧客」というフレーズです。
いままでと変わらず「エンドユーザーの課題解決に全力を尽くす」という姿勢で仕事に向き合えば、何か市政の役に立てるのではないか。
そんな思いで、副市長の仕事をお引き受けさせていただくことになりました。
こうして、3/22に裾野市議会で選任の同意をいただき、4/1の就任式を迎えることになります。
私が発揮できる価値は、突き詰めれば「より良い課題解決を追究する」という姿勢だと考えています。未熟者ではありますが、いろんな方の知見をお借りしながら、裾野市のために働きます。
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