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禅寺のお坊さんたちが躍り狂う世界線

タイトルと内容はあまり関係がありません。
📷:canon ae-1 🎞:portra400

 近頃、マインドフルネスという言葉を巷でよく耳にすると思います。今や、iphoneのヘルスケアアプリにマインドフルネスの項目が追加されたり、applewatchに深呼吸のアプリがデフォルトで搭載されていたり、どんどん一般化されていっています。私も近頃、心が乱れてきたり頭の中をすっきりさせたいなと思った時、数分間の瞑想を行うことが習慣となっています。

 さて、今回はマインドフルネスや禅の考えってどういったものなのというお話ではありません。自分は専門家でもなければ、有名なお坊さんのもとで何かを習ってきたわけでもなく、瞑想というマインドフルネスの中の一つの形をたまたま気に入って、生活の中に取り入れているだけであり、完全に独学です。中途半端な知識で説明することはできないし、何より、自分で体験し感じなければ分からないものです。今回はそれらを学んだときに感じたある一つの考えを深掘りしていきます。

 私はとりあえず実践してみたくて、マインドフルネスに近づくには具体的にどのような方法があるのか調べてみました。すると、やはり瞑想が一番手っ取り早く、簡単でわかりやすい。場所もあまりとらないので、私も瞑想を取り入れることとなったのですが、その中で一際私の目を引くものがありました。それが、『ムーブメント・メディスン』です。

 ムーブメント・メディスンとは、動く瞑想とも呼ばれ、自分の思うがままに体を動かし、踊ることで、身体・心・意識を一つにするという考え方、もしくは教えのことらしいです。(これらも禅やマインドフルネスの考え方と同じく、体験して初めてわかるものであり、言葉による説明や解釈と実際のものとではズレが生じるだろうと考えています。)

 音楽やリズムに乗り、考えることをやめ、思うがままに体を動かすことに集中する。ヒップホップダンスをやってる身としては、これもマインドフルネスなのか!と眼から鱗でした。まあ、おそらく両方に精通している人からしてみれば全く異質なものではあると思うのですが、上手に踊れていなくとも、気持ちよく踊れているときに、生命としての自分が最大限の力を発揮しているかのような、そんな感覚には共感できたし、特にフリーで踊る場面では、何も考えずに踊れた時の方がうまくいったりするものです。

 でもこれって日本人にはとてもハードルが高いことのように思えました。だって日本人は踊らないから。

 確かに、tiktokとか恋ダンスとかバブリーダンスとか、SNSの普及に比例してダンスという文化は若者を中心により身近になり、ダンス市場も年々巨大化、それに伴ってプロのダンサーや注目を集めるキッズダンサーのレベルの上昇の具合は著しいものがあります。しかし、流行りのダンスの振り付けを覚え、動画を撮り、それをSNSに投稿する若者たちは果たして本当に踊っていると言えるでしょうか。

 そもそもダンスに正解なんてないのです。音楽を聞いて自分の思うがままに体を動かし、それを仲間と楽しむということに踊りという文化の真の楽しさがあると思われます。ショーケースなど表現としてのダンスはその延長にあり、ジャンルやジャンルごとの基礎力はそれを助けてくれる土台でしかない(もちろん上手になりたいのであればおろそかにしてはいけない大切な要素ではあるが)と思うのです。

 しかし、日本には素人は疎かダンス経験者ですら「ショーケースは出るけど、バトルやサイファーとかはハードルが高いな」といった風潮があるのは事実です。それもそのはず、日本では適当に音楽を流しておいて好きに踊るという風潮もしくは風習がなく、クラブは存在しますが怖い・うるさい・チャラい場所というイメージがある人も多く、一度も行ったことないよという人も少なくありません。(自分もダンスのイベント以外で遊びに行った経験がありません)

 日本には昔から皆と同じ踊りを同じ場所で踊る、もしくは厳格に決められた振付、ルール、文化に則って踊るといった文化が多くみられます。わかりやすい例だと盆踊り、歌舞伎、能といったところでしょうか。踊り念仏に対して一心不乱に踊り狂う的なイメージを持っている人がいるかもしれませんが、少なくとも現在まで残っているものでは盆踊りなどと似たような形のようです。

 このようなものには必ず正解と不正解が存在してしまいます。しかし、若者を中心にダンス人口が急増した今、正解不正解、上手い下手関係なく、心のままに踊るという文化が広まってくれたらなあと感じます。

 新型ウイルスがいよいよ本格的に広まってきました。本当か嘘かも分からない情報が溢れかえるネット社会ですが、皆様くれぐれも冷静に用心してお過ごしください。