オーディオブックが日本でいまいち普及しない理由を考えてみる

ただの考察なので、その辺りはご理解を。

ナイル株式会社のリサーチで面白い数字が出ていた

端的に言うと利用したことがない人たちが2000人に聞いたところ8割弱と言う結果。普通に考えて、あれだけテレビCMやってるんだから、名前ぐらいはみんな知っているはずなのにこの数字。
ちなみに自分も使ったことはないしおそらく使う機会はほぼない。

ちなみに海外では普及率はあがり、売り上げも上がり続けている

ちょっとデータが古いのはひとまずおいておこう。

では、日本と海外では何が違うのか?
サブスクサービスで言えば日本だって海外のサービスが普通に普及している。便利であれば使うし、安ければ普及する。その考え方でいけば日本でも聞く読書という流れがあってもいい気がするでしょ?

個人的な考え方として、日本で普及しない理由は主に二つあるんじゃないかと思っている。一つは識字率の高さともう一つは文語の便利すぎる能力にある。

識字率は日本は江戸時代ぐらいから異常に高い
令和の今ですら世界では文字が読めない人は結構多いのだ。

識字率が高いから新聞が売れるし本も売れる。
文字の読み書きができない人たち相手に売れるわけはないのだ。

つまり、日本の識字率の高さという教育レベルの高さが、文字に依存しなくて利用できるサービスと相性が悪い。話せても文字がわからない人たちにとっては、耳で聞く読書は新しい知識に触れる最高のアイテムなり得るが、日本の場合は読み書きができる人が圧倒的に多いので、別にそのサービスが存在していなくても全く困らないのだ。

これに伴い文語も発達している。
日本語の文字特性として、漢字の利用がある
読めなくても意味がわかる、ということも多いし、この漢字だから意味が通じるということもある。つまり、文字でのコンテンツとしての完成度が極めて高い。日本語は音を文字にしたものではなく、意味を文字にしているのでこの辺りも聴く読書との相性ははっきりと悪いと言わざるを得ない。
そして、長い識字率の高さと文語の特性を利用して、速読という世界的に見たらかなり特殊な技術も一般化している。

そして上記二つを理由としているからかわからないが、日本人にとって耳から入ってくる情報って基本的にエンタメじゃないといけないと無意識に思っている可能性が高い。
ラジオもつけているだけの動画やテレビ、駄々流しのイヤホンなら流れる音楽。それらは音だけで楽しめるように作られたコンテンツそのもの
書籍という日本語の文字特性を利用して作られているコンテンツが音のコンテンツとして成立するには、倒すべき敵が強すぎる。
そもそも表音ではない日本語の文字特性で、音だけのコンテンツにそのまま手をかけずしてなれるわけがないのだ。死ぬほど工夫が必要だし、なんなら文字構成すら本来変える必要がある。

朗読などにしても、読む人間が聴く人のことを考えて行っている。
とはいえ、それをコンテンツにまで消化させることは楽なことではない。

最初から目で見て楽しめるようにと作られている映像や舞台を作り上げるよりも難易度が高いことは、誰もが理解できるはずだ。

市場が、社会性が、耳の特性が。
そういうことではなく、シンプルに文章日本語の言語特性が向いていないんじゃないだろうか?

教える立場なのでできる限りはワークショップなどで教えた内容を説明していこうかなと。地方の人やワークショップに事情があって参加できない人たちへのサポートが今後もやっていければと思っています。