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介護とロックと水泳と

『もう限界です』と言葉にしてみた。

昭和体育会系の脳筋ではなかなか口に出せない。

身体がボロボロになるまで運動を続けていた過去を見ても明らかであろう。

母の介護で出た言葉。

側から見たら元気でしっかりしてる

断片じゃ分からなくて介護にあたっている当事者の言葉に一番耳を傾けなければいけない。

現場が全て。

だから介護している人間が声を出さなくてはいけない。

亡くなった父も次男だが、私は会うことのなかったおばあちゃんを十代で介護して看取っている。父の父、私にとっておじいちゃんは早くに亡くなっていたそう。 鍛冶屋だったとボソッと父が言った。その後父は鉱山の出稼ぎに出て、現場から現場監督になったようだ。現場上がりの監督なんてそうそう居ないようで、現場を知っているからこそ危険な工事は絶対にしなかったそうだ。国の仕事だから重圧もすごかったであろう。が絶対に引かなかった。事故は一度も起こさなかったそうだ。亡くなった後ケアマネさんから聞いた。

事故がバンバン起こる仕事で奇跡であろう。

息子だから話さないわけでなくて、多分そういったことを語ることはあまりしなかったのであろう。母にも。

母もその父の介護を一人で辛いとも言わず

『ベづに(別に)なんどもねーでば(なんでもないよ)』と言っていた。

手術して人工膀胱になった為、それの1日おきの処置(家族さんもできるような)それだけはやんた〜(できない)とはっきりしていた。

かわいそうで見てられないと。(在宅で看護師さんが来てくれた。津波の後も)

母は自分の父、母、私のじいちゃん、ばあちゃんの介護もしてきた。そのために父も現場監督を辞めて岐阜県から宮城に戻り一から仕事を始めた。     

父から言ったそうだ。

『そう言うことなら、もどっぺし(戻ろう)』

そんな父と母の介護に比べたら自分はなんて楽だろうと思う。

自分も特養(特別養護老人福祉施設)で経験してきた自信もあったはずだが身内の介護はまた別物で、認知症状が出る母に対しては今までの経験も自信もへったくれもない。

(へったくれってなんだ...?)

母の症状が『せん妄』と言ってコロッと人格が変わる

『ヤヌスの鏡』状態。

それが毎日毎晩続くとメンタルがやられる。

元の母になったり呆けたり、そのギャップがズンズンメンタルにくる。

『せん妄』の激しい時(程度の差がある)ずっと妄想で怒りまくっている。

当初、その対処に聴くと思われていたyoutubeで演歌聴かす作戦も効きやしない。

息つく間もない感じで怒り散らす、会話になる状態ではない。

なら試しにロックを結構音量大きめでかけてみた。

本人のペースも乱れることなく、いい感じで喚き散らかしてる

デーモン小暮閣下の歌声とエース清水長官、ゼノン石川、ライデン湯沢、    ルーク篁村の演奏と母の喚き散らしがなかなかよくあう。

ああ...これはロックなんだな

ちょっと感動した。


何が正解で間違いか?は分からない。

でも母の呆けに対し私が怒鳴り、心が疲弊していくのは正解ではないと思う。

『限界です』って言える時に言わなきゃ言えなくなると思った。

言ったことは後悔でなく、言うことでまた前を向ける気がした。

違う見方ができるきっかけになったように思う。

『ため込む事』が一番よくない。

言葉がなんであれ『出す』ことが息を吸えるようになるのに今更気づいた。


そう言えば中耳炎で水泳して来なくて

水の中で息を出す事知らなかったよ。

二十歳の浪人中、市民プールで仲良くなった子供に教わって衝撃だった。

あの子大きくなったべな。

今、自分の中でつながったなあw

教えてくれてありがとね。

写真 『メルヘンカモン』展より 『三陸うに子』(photo by 豊嶋七帆)   

  Come On,Fairytale/Uniko Sanriku [sea urchin]/Nanaho Toyoshima

#介護 #ロック





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