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あめつちの便り「土の音」🎵 【母の日】(沖縄~奄美)

あめつちの便り「土の音」🎵
【母の日】(沖縄~奄美)

毎年、母の日前後には、清い御霊の慰
霊と平和を念じます。

☆【母の日】(沖縄)捧奏「アメージング
グレイス」
:https://youtu.be/Q4tQYtvTT7g

☆【奄美にて】オカリナ「涙そうそう」
金沢~奄美自転車旅行(台風で奄美下船
の縁)
:https://youtu.be/B0QIVXS34Po

LLC就航を機に久々に沖縄の土を踏ん
だ翌朝。

「今日は様々な楽器を持ち寄っての演
奏もあるから近くの教会へ来ませんか?」

宿泊したドミトリーハウスの世話人ショウコさんに誘われ近くのキリスト教会へ。

18才の自転車旅行で奄美大島のシスタ
ーにお世話になったのが教会との最初
のご縁。
翌朝のミサの新鮮さは脳裏に刻まれ
ている。

ショウコさんと朝の壺屋やちむん通り
を抜けて教会に着くや礼拝がスタート。

幾つもの讃美歌を歌った後に、お母さ
んたちが前に並び皆からバラの花をプ
レゼントされる。

母の日の由来を牧師さんが説明したあ
と、こともあろうに筆者に視線!

ショウコさんにオカリナのことを聞い
たと「せっかくなので一曲」と請われる。

真っ赤なバラを手にしたお母さん方
の手前、指示されるまま前に立つ。

場所柄と、今日というタイミングもあ
る。

「星になった私の母には、ろくに親孝
行も出来なかったので、御詫びも兼ね
、アメージング グレースを」と捧奏。

☆【母の日】(沖縄)捧奏「アメージング
グレイス」
:https://youtu.be/Q4tQYtvTT7g

【Amazing grace】

1、Amazing grace

(how sweet the sound)

That saved a wretch like me.

I once was lost but now am found,

Was blind but now I see.

【アメージング・グレース】歌詞大意

驚くべき神の恵み

(なんと甘美な響きよ)

私のような者まで救ってくださった

1度は路頭に迷った私は
とうとう道を見いだした

盲目だった私は、
今、神の恵みの中にある

■《曲が出来た背景》

人身売買をする奴隷船の船長が、嵐で
沈みかけた船で恐れをなし神に祈った
ら、無事難を逃れイギリスに戻ること
が出来た。

こんな卑劣な自分でも神は救ってくれ
たと後年聖職につき、懺悔と感謝を込
めて作られた曲がアメージンググレイ
ス…

大航海時代、植民地帝国を築いた西欧
列強が奴隷を酷使して砂糖を作らせ、
巨大な富を築いたのが産業革命のベー
スだとさえ云われる(【白砂糖】は白い
黄金とも呼ばれた)。

現在、特に【白砂糖】は、依存性のあ
る【白い麻薬】と言える事がわかって
いるが、未だに甘美な誘惑と病気の危
険を世界に拡散し続けている。


教会の響きはとてもよかったし皆さん
の暖かな雰囲気に包まれ自分まで祝福
を戴いた心地がした。

「沖縄では集団自決に関わり、語る
のも憚れる(はばかられる)体験を強い
られた教会関係者もいる」

と、金沢のオカリナの生徒さんでもあ
る教会の牧師から聞いたことがある。

午後は【ひめゆりの塔】(※)へ慰霊に行
くことに決めていた。

マスコミでは、沖縄本土復帰記念日
(1972年5月15日)の話題が取り上げら
れている。

第二次世界大戦以来、27年間もアメリ
カの統治下で屈辱と苦難を堪え忍んだ
沖縄県が日本に復帰したのだった。

さて、那覇よりずっと南の端、バス
を乗り継いで二時間。

乗り継の待時間にオカリナを吹きつつ
本当にバスが来るのか心配になるが、
側で聴いていたバス待ちの女学生が大
丈夫と太鼓判(^^)/

「ひめゆりの塔」(※)にようやく到着。

皆が献花をする傍らで、花の用意がな
い筆者はせめてもと オカリナで献曲。

☆オカリナ【涙そうそう】金沢~奄美
自転車旅行(台風で奄美下船の縁)
:https://youtu.be/B0QIVXS34Po

古いアルバムめくり
ありがとうってつぶやいた

いつもいつも胸の中
励ましてくれる人よ

晴れ渡る日も 雨の日も
浮かぶあの笑顔

想い出遠く あせても

おもかげ 探して
よみがえる日は 涙そうそう‥‥

「涙そうそう」は夏川りみの歌唱でも
知らるが、作詞者は急逝した兄を想っ
て書いたとか。

献曲しながら脳裏に浮かんだ事がある。

18才の夏、筆者は自転車にテントと
シュラフを積んで金沢から山陰を通り
、鹿児島からフェリーで復帰直後の沖
縄を目指した。

が、台風で全員奄美大島で下船。

これを縁に奄美を回り生活文化に触れ
る縁を持った。

八月のお盆、丁度満月の夜に浜辺で開
かれた古来の素朴な盆踊りがあった。

浴衣姿の高校三年生の島の乙女から、
卒業したら大阪の繊維会社に集団就職
すると聞いた。

瞬時に、金沢を自転車で出発して間も
なく福井県敦賀での事がよぎった。

それは、布施のごとく自宅で食事を供
してくれた女性の弟(自分と同い年?)の
悲話。

同じ自転車旅行に出てすぐにトンネル
事故で亡くなったと言い、先々の無事
を祈りお握りを作り持たせてくれた。

島の乙女に、「巨大都市は危ないから
金沢はどうか」等々話し文通が始まった。

手紙の一文字一文字が、まるで初めて
学校で習った字を清書するかのように
丁寧に綺麗に記されてあった。
が、いつしか途絶えてしまった。

後に奄美の家を訪ねると驚いた彼女の
母は仏壇に案内してくれ、涙声から知
ったのは卒業して集団就職し、間もな
く交通事故で星になったこと。


さて今、奄美が世界に誇れる健康長寿
地域としてクローズアップされる反面
、沖縄の寿命短命化は戦争や戦後米軍
問題と表裏一体であることは事実。

ひめゆり学徒の高齢生存者の生々しい
お話しを聞き、遺品や資料を目の当た
りにして痛感せざるをえない。

(※)【ひめゆりの塔】
昭和二十年三月、米軍の艦砲射撃が
始まり、沖縄師範学校女子部と沖縄県
立第一高等女学校の職員生徒二百九十
七名は、軍命によって看護要員として
ただちに南風原陸軍病院の勤務につい
た(ひめゆり学徒隊とも言われた)。

前線から運ばれる負傷兵の数は激増し
、看護婦・生徒たちは夜昼となく力の
かぎりをつくして傷病兵の看護をつづ
けた。

六月十九日、第三外科の壕は敵襲を
受けガス弾を投げ込まれ地獄絵図と化
し、奇跡的に生き残った五名をのぞき
職員生徒四十名は岩に枕を並べた。

軍医・兵・看護婦・炊事婦も運命をと
もにし、他の職員生徒たちは 壕脱出後
弾雨の中をさまよい沖縄最南端の断崖
に追い詰められて多く消息を絶った。

後に「ひめゆりの塔」が建ち、ここ
に沖縄師範学校女子部と沖縄県立第一
高等女学校の職員十六名、生徒二百八
名の戦没者を合祀して白百合のかおり
をほこったみ霊の心をうけ、平和の原
点とした。

奇跡的に生き残った数少ない高齢の学
徒達が、「ひめゆり平和記念資料館」
を中心に、血と涙の体験を語り継いで
いる。

 ~☆~~☆~~☆~

【ひめゆりの塔 慰霊】の後、金沢に戻
って間もないオカリナ教室で。

「もしかして沖縄で "涙そうそう" を
演奏しませんでしたか?」と生徒さん。

「えーっ、何で知ってるの?」

「私にオカリナを勧めてくれた金沢
の友人が、丁度母の日に ひめゆりの塔
へ行き、オカリナで "涙そうそう" を聴
いたと言ってましたよ!」

一瞬言葉を失った(゜ロ゜;

那覇よりずっと南の端、バスを乗り継
ぎ二時間もかかる場所。

奇蹟?偶然?必然?

そもそも自分自身がこの世に生まれ、
今生きて在ることは奇蹟‥。

もとより遥か遠くのこととは決して思
えない時空と縁の繋がりを感じてやま
ない。

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あめつちの便り「土の音」
〈食育のグリーンノート
& 土の音工房〉
☆食育HP
:http://green17.crayonsite.net
「ナチュラルクッキング」
:https://youtu.be/4gXIxSK-l_Q
☆工房HP
:http://clay.crayonsite.net
「オカリナのある風景」
:https://youtu.be/Lx0ONATqiTg
◆じゃらん「オカリナ体験」
:http://urx.red/yVBT
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