ワンキンス転職記~内定編~

 自慢ではないが私は学生の頃に一度だけバイトに応募して落とされている。
 面接の時に「長く続けて欲しいな~」と言われたのに対し、「車買ったらすぐ辞めるつもりです」と答えたのだから当たり前だろう。

 そして就活はせずに実家へ流れるように吸い込まれていった。もともと実家を継ぐつもりだったのでそれについては何の問題もない。しかしその後についてはご存じの通り、祖母が他界し狂った父と一戦交えてスピード勘当、里を追われた抜け忍びである。

 人生初の就活は金も車も健康も失った状態で臨み、好条件を装ったブラック牧場へまんまと就職。

 こと仕事というものに関してつくづく運がない。雇われるというのが向いていないのだろうか。いっそヒップホップで食っていく覚悟をキメたほうが幸せになれるのかもしれない。
 だが二、三度失敗したくらいで見限るようではヒップホップでも成功するまい。もう一度雇用労働形態というものを信じてみようではないか。


 とりあえず検索である。前回は無職かつ就活初心者だったのでハローワークのお世話になったが、今回は雇われ人なのでネットで済ませる所存だ。休みの日にいちいちハローワークへ通っていたら生きる意味を見失うほど大きなストレスがかかるだろう。

 Indeedを開いて検索するは「畜産」である。
 私はどこまでも牛が好きだ。

 暴走トロッコの向かう先には5人の作業者、レールを切り替えたら5人は助かりますが、あなたは一生牛と無縁の生活を送ります。

 と言われたら5人を見殺しにするだろう。
 つまり、私の能力を人助けに向ければ救える命があったとしても、私は牛を飼いたい。


 地域を隣県まで広げて検索してみる。
 そこに広がるはブラック牧場の闇市。
 誰しもおとぎ話で聞いたことがあるだろう伝説のブラック企業が堂々鎮座しているではないか。その他の求人についても危険な匂いが立ちのぼっている。私は何も知らずヤクザ事務所の扉を開いた善良な一般市民のようにそっとブラウザを閉じた。

 深呼吸。
 まだ就活は始まったばかりである。
 一日目は残酷な現実から目を背けるように酒を飲んで寝た。

 それからというもの仕事の合間に求人サイトをチラ見しては砂漠で水たまりを探すようにマシな求人をブックマークしていた。どれもこれも給与と休日のバランス感覚がバグっている。ネット回線に時空のゆがみが生じて昭和後期の求人が表示されているのだろうか。
 少々酷な話だが、時代錯誤な職場へ身を投じても寿命と若さを消費して老いた星の最期、超新星爆発に巻き込まれるだけだ。私はあと55億年くらい生きるつもりなので老星と心中するわけにはいかない。

 畜産業、特に牛以外へ就く気がないと言っておきながらアレだが、下手なところに引っかかって精神や健康を害すくらいなら年休120日の低給仕事をしながら畜産の勉強をした方がマシかもしれない。
 もはや酒の肴にブラック求人をウォッチするのが日課になっていたころ、怪しい求人の中にひときわ怪しい求人を見つけた。怪しいと言っても深い山の中にある放牧地の管理だとか、年休53日の地獄みたいな牧場だとか、そういうのではない。
 待遇が良すぎて怪しいのだ。

 完全週休二日制、給料も今より7万高い。寮もあって従業員の数も十分、そして能力に応じた昇給アリ。
 これは罠か、どう考えても蜘蛛の糸である。

 見ようによっては救い、見ようによってはサディストなブッダが垂らしたスナッフフィルムの招待状だ。
 まあ、行くも地獄、残るも地獄となればとりあえず行ってみるのが吉であろう。

 勤務地を検索してみると町のド真ん中である。狂ってるのか。
 町中で畜産を営むとなると第一に臭害問題が発生する。私は特殊な訓練を受けているので、小学生が「うーわクッセ!」と絶叫する牛舎の匂いでも胸いっぱいに吸い込んで望郷の念を抱くものだ。しかし一部の一般人にとっては慣れない匂いなのだろう。たとえ千年前から続く牧場でも周囲に町が栄えたら打ち壊し不可避のご時世である。
 それなのに勤務地は町のド真ん中。

 怪しい。

 怪しいがメールする。

 その結果帰ってきたのは以下のようなメールだった。

 申込みいただきありがとうございます!
 恐縮ではございますが、この求人はたいへん人気の求人でして、ご希望の職種のみの採用は難しい状況となっております! 営業とか他でやってる技術系の事業なら同じくらいの待遇で採れますよ♪

 とのことである。
 

 こちらの返答は。

 ご対応いただきありがとうございます。
 御社の事業内容や畜産以外の採用情報も非常に魅力的だと感じるのですが、やはり畜産に関わりたいという気持ちが強いことや身に着けてきた技術や知識が畜産関係に偏っているため、今回は応募を辞退させていただきます。
 ご対応いただきありがとうございました。御社の益々の発展をお祈りいたしております。

 日本語に訳すと「求人掲載取り下げろ」である。

 知る限り畜産関係者、もとい農家は良く分からない技術を持ってる人が多い。各々が何かしら農業以外のスキルを有し、人網により適材適所へ話が回る。
 実家で暮らしていたころ、給湯器の修理に来た人も、植木を剪定しに来た人も、牛舎内の水道を改造した人も農家だった。害獣駆除へ向かうのも農家だし、農協職員のお偉いさんも農家、沿岸から大量の海産物を仕入れてきた人も農家だった。

 それを狙っているとしか思えない。
 応用の効く農家出身者をウマイ求人で釣って人手不足の営業や電工技師に回そうという算段であろう。
 この時点で信用は地に落ちブラジルへ貫通した。


 もう疲れてしまった。
 かくも人の世は悪意で満ち、善意の椅子は埋まっている。

 私に雇われ仕事は敷居が高かったのか。
 ヒップホップで食ってくしかないのか。

 否。
 農家育ちなら農家らしく手を尽くそうではないか。

 私は友人の居る職場へ即座に転職をキメた。
 コネである。
 
 友人が居るということは職場の人間についても情報が入ってくる。これは求人サイトには無い大きな利点だ。くしゃみした勢いで上司をぶん殴ってしまいそうなほど人間関係に難儀している私としてはこれ以上ありがたいことも無い。
 現場を案内してもらっただけだが、今いる牧場が網走刑務所なら次の職場は軽井沢の別荘である。それくらい違う。

 なんにせよこれで一段落したわけだ。


 採用決定の報せが来たその日のうちに社長へ高らかに退職を宣言した。
 ついでに上司のことも話しておいた。
 彼が如何に自己研鑽を怠り、非効率的な作業分配で人的資源を浪費し、自身の安楽椅子にしがみ付いているのかを語ったところ
「なんか、とても真っ当な意見だね…」
 と言われた。当たり前である。義務教育を出ていれば誰でもわかることだ。

 それゆえ現状を放置する社長にも一発ビンタをプレゼントしたかったが、彼我の戦力を見誤り方々に敵を作るのは下策だ。とりあえず退職に際して狙うは上司の首級ひとつ。

 次の賃貸も決まり、タイヤ交換も済ませ、引っ越しレンタカーの予約もした。
 あとは残りの20日あまりで上司と詰将棋である。

 あのような人間を上に立たせたまま放置するのはいささか心苦しい。立つ鳥跡を濁さず、汚濁の中から立つとなれば少しでも奇麗にしておくべきだろう。このボウフラさえ腐り落ちる淀みの職場、ザリガニくらい住める所にしていこうではないか。

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