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ぼく・エモーショナル・退職


ハロー・地獄・ワーク

 春の日、ぼくはある会社に入社を果たすこととなった。有名企業の下請け会社で、担当は通信販売部門。当時のぼくは会社の事務職として入社したものの、求人看板に偽りあり、実際には流通センター勤務の現場作業員となった。物流というやつだ。
 さて、そんなことになるとは思ってもみなかったぼくは、当初は困惑しながら新人研修を受け、正式な配属決定を待った。一番最初に研修を受けた部署Aは、とにかく先輩たちが優しく、仕事内容も好きになれそうだった。このままこの部署Aに引き取ってはもらえないかと夢を抱いたくらいだ。まぁ、現実はそうはいかない。後から聞いた話だが、ぼくの配属先は入社前からおおよそ決まっていたらしい。とにかく人手不足だという部署B、最初からそこに配属するために求人募集をしていたという。何故、人手不足なのかは一目瞭然だった。直属の上司が原因だ。ぼくの退職理由の一つでもある。

ヒステリック・上司・ブルー

 研修期間でも恐ろしかった上司だが、無事に配属となるとさらに恐ろしくなった。研修中は外面を保っていたようだが、それでも恐ろしく、また理不尽な人だった。部署B配属となったぼくの胃はキリキリ痛み、作業中は常に吐き気がトモダチだった。毎朝トイレで吐いてから出社していたため、まともな朝食の記憶がない。少しでもラクに吐けるよう、なるべく抜くようにしていた。上司に監視されながらの作業は苦痛で、今、思い出してもこの会社が一番しんどかったと言える。昼食の味がしなくなったのもこの時期だ。
 きつかったのは作業ミスがあった時だ。公開処刑のような説教とモラルハラスメント。これは全面的にこちらが悪いため、ある程度は耐えられる。ミスがなくとも気に入らなければボロクソに罵倒される。こっちが心底しんどい。これはぼくに限った話ではなく、先輩もパートさんも、技能実習生も餌食になっている。指導係のA先輩も、次期エースのB先輩も毎日のように憂き目に遭っていた。ちなみに、上司自身が同じミスをした際は笑って誤魔化してくる。社会的に消してやりたくなった。

異国・クライシス・実習生

 物流センターには技能実習生受け入れ制度がある。とある国からやってきた彼女たちは、語学学校での日本語習得と技能試験用の勉強に日々追われる。彼女たちの甲高い異国語と片言の日本語が毎日のようにセンター内に流れていた。そこで初めて気づいたのだ。(大変失礼な上に失礼で、どうやっても失礼なことを書く。)どうやらぼくは、外国の方の片言が本当に苦手らしい。毎日聞いて過ごすとノイローゼになることを初めて知ったのだ。

 彼女たちの労働環境は厳しい。ぼくらはおおよそ週休2日制で、基本的にパートさんたちが選ばなかった日程を休日としていた。たまに土曜日か日曜日をもらい、医者に行ったり医者に行ったりしていた。ただ、実習生は週に一度しか休みがないのが現状で、仮に2日あったとしても、それらは全て語学学校や技能試験関連に費やされていた。ちなみにその技能試験とやらの内容に「椅子作り」という訳の分からないものがある。しかも結構難しい。全くもって業務に関係がないのだが、普段はこういう仕事をしています、という体で試験に臨むそうだ。メチャクチャだ。物流センターにいて何かを作る機会に恵まれることはない。ぶっちゃけ、使用する機械にすら恵まれていない。あと、あまりの多忙さに泣きかけた子が例の上司に相談する場面に遭遇した。「ちゃんとお休みはあるでしょう? そういう契約でこの国に来たでしょう?」と怒鳴られていた。ぼくはとんでもない世界に来てしまったのかもしれない。

クリーン・諦念・クリア

 ここにいる限り、大切なものを失い続けるかもしれない。梅雨の時期にはぼくの心も折れかけていた。その日はセンター内で大掃除があり、ぼくらはトイレ掃除と玄関まわりの担当になった。掃除は滞りなく進み、拭き掃除を終えて業務に戻ろうとした時のこと。床を拭いた真っ黒の雑巾を絞ろうと水場へ向かったところ、上司に怒られた。いつまで掃除をしているのか。お前はさっさと戻ってこい、だそうだ。どうにも、ぼくに拭き掃除をさせたくなかったようで、ぼくが汚いところを拭いている様を上層部に見られたくなかったとかエトセトラ。この辺りはあまり覚えていない。ただ、直後に言われた言葉をよく覚えている。「そんなモノは彼女たちに任せて、お前は仕事に戻れ」だった。自分で汚した雑巾くらい、自分で綺麗にすべきだろう。反論は許されず、その場にいたA先輩とパートさんたちも気の毒そうにぼくを見ていた。きっと、もう何度も。実習生の一人がぼくに両手を差し出し、もらうから早く、と。その真っ黒の雑巾を渡した時、大切な何かを落っことしてしまった気がした。情けなかった。申し訳なかった。すべてが。悔しかった。認められなかった。彼女たちを水場に残し、僕は作業場へ戻った。指の冷たさだけが残りカスみたく矜持だった。

結婚・ホワイト・契約

 実習生たちは皆、20歳すぎの若者で、中には未成年者もいた。まだまだ遊び盛りだのに、彼女たちは働くという。勿論、母国の家族のためだ。稼ぎ頭として日本に出された以上、結果を残さなければならない。非常に真面目で勤勉なのは見ていても明らかだった。もう十分に残せている気がする。その判断基準が技能試験というのだから、もう何も言えない。素晴らしい椅子の提出を願うことくらいしか、できることはない。
 ぼくにとって一番衝撃的だったのは、彼女たちの口から語られた結婚についての話だ。これを書き残すためにこの記事を作っている。彼女たちにとっての結婚とは、父親が決めた家のための契約だ。少し昔の日本でもそういったお見合い結婚はあった。彼女たちの国では父親の言うことは絶対で、母親がそれに口を挟むことは滅多にないそうだ。父親の決めた相手と結婚し、後継ぎを産むのが当然の将来。しかも、その相手が親子ほど年の離れた男性だと聞いて絶句した。互いを思いやる歳の差カップルには申し訳ないが、これではあまりにしんどすぎる。会ったこともないオッサンと結婚するしかないと一人は言った。結婚は家のためのものであり、そこに愛はないと。既に許婚のような男性がいるとの声も上がり、ここに来たのは結婚猶予の延長のためでもあると。オッサンは好みじゃないと言い切っていた。
 日本で彼氏ができたという彼女たちは、同じように実習生として日本で働いている外国人が相手だと言う。ずっと一緒にいるつもりはないし、お互い結婚することもできない。だが、国に帰れば決まった相手と結婚するしかない。家に帰りたい気持ちはあるが、それは結婚するということ。結婚すれば、二度と母国を出ることはない。かと言って、働くためだけに来たこの国が好きだとは思えない。スマホの中で笑顔の彼氏たちは随分と派手で、こう、チャラかった。パリピとは、ああいうのを指すのだろうか。日本人男性はナヨナヨしていて、好みじゃないらしい。嗚呼。

残業・退職・次発

 一番の退職理由は、おそらくこの業務時間にある。朝の7時頃から作業場に入り、準備をして業務に入る。最終業務が終わるのは翌日だ。すべてが終わるまで帰れない。始発に乗り込み、また始発を乗り継いでの生活の中、終電もなく、途方に暮れる帰路。家に帰れば早朝、残された時間でどうやって生きて行けばいいか分からなかった。だから、退職した。今もまだ、生き方が分からないけれど。
 退職後、比較的スムーズに次の職場へ動けた。休日のすべてを転職活動に充てていたため、何とか転職先は決まっていた。あの頃はまだエネルギーがあったし、何より転職先というカードがなければ辞められなかった。面接だけが生きがいだった。あの頃はどうかしていた。でも、脱出しなければあのまま倒れていたことだろう。実際、身体の具合はすこぶる悪かった。心は病んだままだ。 
 新たな職場もまた別の地獄でしかなかったが、それはまた別の話。

 



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