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「君のせいで今日も死ねない」を読んだせいで僕も死ねなくなった

読む本が無くて彷徨っていたらたまたまこの本を見つけた。
めちゃめちゃ良さげと思って完全なるジャケ買いをしてしまった。ちなみに、本のジャケ買いはこれが初めてである。

買ってみて、初版発行が令和3年8月20日だと知り、すげー最新のやつだったのか!と初めて知った。そして飴月さんのツイッターを覗かせていただいたら年下だと知り、さらに驚いた。

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ここからネタバレも含む感想に入ります。本当は読書感想文を書くのはは苦手なのだが…

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そんなことはさておき感想に戻るとすると、僕はどちらかというとA君ではなく三峰さんに感情移入していた。僕は三峰さんに比べて勉強以外の点は及ぶわけがないのだけれど。

理由は単純、自分もここ数ヶ月の間は死にたいと思っていたからだ。

特に2年生に進級してからはその傾向が表れはじめ、fleetでそういうことを書いてみたり、三峰さんのようにホームで電車を待ちながら「ここで落ちたら楽になれるかな」と考えたりすることが増えていた。

「他人から完璧だと思われなければならない」そう思っていた三峰さん。そう自分にプレッシャーをかけていたことが自分のメンタルを削っていた。

僕も今までの短い人生を振り返ってみると、勉強や生活面は完璧にしなければならない、そう考えながら過ごしていた気がする。特に中学からはそれが顕著だった。運動からっきしできなかったから、勉強は完璧にやらねばならない、真面目な学生でいなければならない。そう思っていた。三峰さんのように自分で自分の首を絞めていたのかもしれない。そして僕はその勉強でも途中で失敗し、他人と比べて勉強もできず、人生も楽しめていない「自分はダメだ」と思いはじめてしまった。しかも、大学ではレポートなどに追われ、「完璧にして提出しなければ」と思い、時間を削ってでも必死にやるものの、その結果は伴わない。他の大学生が楽しく遊んでいるのも見え、「やはり自分はダメ人間だ」と思っていた。

こんな状態から逃れる手段は、、、と僕は考えてしまっていた。

自殺を決意したところでA君に出逢い、心のベクトルが「自殺」から「今日を楽しく生きる」という方向に変わっていった。その途中には、「A君ならば大丈夫だ」という安心感が植え付けられたのかもしれない。
A君は彼女の心を機転を利かせて180度転換させ、今まで三峰さんの家族含め誰もができなかったことをしたのだから、常人ではないと思うし、自分には到底できないことなのだと思った。

自分にもA君みたいな存在、つまり飴月先生のあとがきにあった「『君のせいで今日も死ねない』と笑いながら怒れるような人」ができればいいな、と思った。今の状態でいるかと考えたときには「ランガちゃんかな?」と思ったが、もしランガちゃんがいなくなってしまったら、と考えると、また元に戻ってしまいそうだし、そもそも僕からは手の届かない世界にいる人たちである。

実際に手の届くところでそんな人に出逢うためには、WUGの少女交響曲の歌詞のように「自分の弱ささらけだして」も構わないという勇気が必要だと思った。

死なずに生きていれば、きっとそんな存在に出逢えるはずだと思わせてくれた。

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