095 青春マンガとしての『ヤマノススメ』、そしてその発展可能性
『ヤマノススメ』に関し、前回は私にとって何が画期的だったかを論じたつもりです。今度はマンガ史やアニメ史について論じるべきなのですが、私は元々数少ない山マンガの知識があるわけでありません。ですからマンガ論ではまず、『タッチ』との関連を述べたいと思います。
前回、「主人公雪村あおいは(最初は)旧友の倉上ひなたに引っ張られる存在」と本作の主人公と相方のキャラクターを紹介しました。さらに後段で『タッチ』との関連、影響と思える点を指摘しました。
しかもアニメ『タッチ』が発明、発見した青い空と白い雲という青春の象徴を、第一期から明確に表現してる。あおいとひなたの仲はもちろん、続けて出会うかえで先輩、ここなちゃんらとの爽やかな関係は『タッチ』の爽やかさを確実に受け継いでいる。
「ひなた」が主人公を引っ張っていく。ひなたは日向、北半球にある日本列島では「南」。しかも「倉上」ひなたと来たもんだ。原作のしろ先生、強烈にあだち充の『タッチ』を意識してるとみて間違いない。
しかも『タッチ』がトロフィー論という弱みがある一方、山(登り)では登頂できても仲間内での讃辞に限られる。つまり高校生の話なのに部活でないので前以って設定された競争から解放されてて、かといってバンドなどのような客商売でお金の出入りを気にする活動でもないため、山のための活動は純粋を保てる。そこが勝負と名誉がごっちゃになりがちな青春マンガ/アニメから『ヤマノススメ』が脱却できた理由と思う。のです。
もちろん山だって勝ち負けはある。しかし究極の負けは山に命を取られることであり、山が怖くなってやらなくなることさえ、(下山は出来たんだから)また山をやりたくなる未来がないわけではない。甲子園やインターハイは三年間というタイムリミットがあり、それが緊張感のあるドラマを生み出す。しかし、と『ヤマノススメ』はメッセージするのです。学生でなくなっても人生は続くと。ならば学生でなくなっても続く物語もあって然るべきでないかと。それが『ヤマノススメ』が開拓した、日常に根差した、日常の延長上の山マンガであり、『ゆるキャン△』もそこに含まれる。
尤も『ゆるキャン△』は勝負を否定しドラマを拒否し、旅やキャンプの楽しさに集中させた点に、『ヤマノススメ』から進んだアナーキーさがある。
『ヤマノススメ』に話を戻すと、山を趣味と、山をやり続けたいと決めた後に何を目指すか、かなりバラエティーに富んでることも部活や芸能活動と違う。原作では百名山ハンターや植物の研究などを例に出してたけど、山の成り立ちだって研究対象になる。他に装備品のメーカーや山小屋、高地の天体観測など、人数は少ないけど分野としては様々ある。これらはもちろんマンガのネタであり、『ヤマノススメ』が開拓したマンガの鉱脈、掘る余地がたっぷり残されているのです。(大塩高志)
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