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『ピン留めの惑星』|大島智衣

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漫画家つきはなこさんとのマガジン『ピン留めの惑星』の大島智衣編
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記事一覧

可憐

(*本編は最後まで無料でお読みいただけます) 「ねぇ中澤さん、友達にならない?」 そう後ろの席の中田さんから言われたのは、高校に入学したての春だった。 澄んだ清らかな声だった。 友達というのは、そんな風にしてなるものだったろうか? すこし違和感をおぼえたけれど、私は中田さんと友達になってみたくなった。 見るからに可憐で、育ちの良さそうな中田さんと、じぶんが合うとは思えなかったけれど、憧れがまさった。 * 中田さんの後ろの席には、中田さんが私立の中学から一緒で仲の良

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うたた寝

(*本編は最後まで無料でお読みいただけます) 隣のデスクでうたた寝を始めてしまった小田島さんを起こさないように、分厚いASKULのページをそっとめくった。寝息がここまで聞こえてくる。 ひとが本当に寝入ったかどうかは、だいたいは呼気でわかる。 「すう」と深めに吸ったあと、「すっ」と息が勢いよく吐き出されると、そのひとは眠りに落ちている。 私はそれを、こんな風に隣で居眠りをする小田島さんの寝息で知った。 今日もオフィスは午前中から人が出払っていて、この空間には小田島さんと私

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口実

(*本編は最後まで無料でお読みいただけます) ○映画館のレイトショー/夜 割と混んでいる上映中の映画館の場内。 客席の最前列、いちばん端っこの二席に並んで座り、スクリーンを見上げている男女。 ふたりの頬がスクリーンに反射した光で明るくなったり暗くなったり。 ひじ掛けに置かれた男の手を見る女からの視線。 女の手は膝の上のバッグをかたく抱きしめている。 ○刀削麺屋/同日夜 中国語が飛び交う刀削麺屋のカウンターで麺をすする男女。 男 うまいね。 女 そうここ、うまいん

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受粉

*本編すべて無料でお読みいただけます 村上くんに彼女がいることを知ったのは、ふたりとも早番上がりで「軽く飲んでく?」と寄った先のバルのカウンターで、どの動画配信サービスを契約しているかをお互いに言い合っていたときで、村上くんが「僕はアマゾンプライムと、Huluと……あとNetflix。や、Netflixは彼女のか」と言ったそのときだった。 なんだ彼女いるのか。 口には出さなかったけど、それに、全くそこには食いついたりしないでスルーしたし、なんにも気にしていないフリをした

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「1112324493」

*本文すべて無料で読めます 藤野君がなんでウチに来たのかはおぼえていない。 なんでだか藤野君は、大学を卒業したあとも住みつづけた早稲田の私の部屋を訪れてひと晩だけ泊まっていった。しかも風邪を引いて具合が悪いとかで、来て早々にひとの布団で寝込んだ。 だから、私が記憶しているウチに来た藤野君の姿は、私が敷いた布団にすっかりとくるまって、掛け布団を乱すことなく綺麗にじっと寝込んでいる姿だった。 なんだったのか。 藤野君についてはわからないことが多い。 私はたしか、あの頃藤

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17時16分。

夕方の5時を過ぎて、あと15分でようやく退勤時間だ。 今日も定時でしごとは終わりそう。 労働というゆるい拘束からほっと解き放たれることはうれしいけれど、替わりに別の思いが押し寄せてくる。 今日もこのあと、なんの予定もない。 誰かと会う約束も、行きたいところも、買いたいモノも。 ひとつずつに思いをめぐらせて確かめてゆくけれど、どれも思い当たらない。 このまま家に帰ったとしても、なにをしよう。 Netflixでイッキ見したいようなドラマも最近見つけられていない。 17時1

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strawberry candy

信号待ちをしていると となりの親子連れの小さな女の子が 「青にな〜あれ! 青にな〜あれ!」 と 赤信号に向かってしきりに大きな声でさけんでいた 「こうやってると 青になるんだよ」 彼女は得意げに 嬉しそうに 母親にそう教えてあげていた そうなのか 赤信号はそうやって 青信号に変わるものだったのか──── 小さな女の子は その〈魔法の呪文〉を 懸命に 願いを込めて 唱え続けていた 私は 青になってほしく なかった 願えば届くなら ずっと赤信号のままでいて

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わたしたちの「篠宮くん」

篠宮くんが私の目の前に現れたとき───正確にいうと、私に対面するために7メートルほど向こうから近づいてきた彼が私の視界の端に入ってきたとき、私は咄嗟にそれまで「残りの人生もうどうでもいいや、見えてれば」と自暴自棄に掛けていたブルーライトカットの不穏な色付きメガネをばさりと放り捨てた。 そして、「はじめまして」と挨拶を交わした。にこやかに。感じ良く。 あのとき、私は裸眼で彼の顔はぼやけて全く見えていなかったのだけれど、私にはわかった。 パソコンやスマートフォンから発され眼

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マシュマロアイスというの

ときどき想像する。 もしもあと何十秒とか、何分とかで、 じぶんの人生が終わってしまう期限が差し迫ったら。 誰に、何を、伝えたい? やり残したこと、思い残したこと、は? 私は何を、遺す? 「なんにも ないや」 大型の台風が接近中で、空模様が荒れ模様になりつつある夜のバス停で、ベンチに腰掛けながらふと、家に着くまでには溶けてしまうとわかっているのに買ってしまったマシュマロアイスというのを、姿勢悪く頬張りながらふと、そう思ってしまった。 「なにも ない」 帰宅して

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絶対になくならないピン留めと恋

もうだいぶ遅い時間のバスでの帰り道。 左ななめ後ろの座席から、お互いに気恥ずかしそうに恐縮し合う男女の会話が聞こえてきた。 「迷惑かなと思ったんですけど。いつも次で降りてるなと思って」 「いえいえ、ありがとうございます。助かりました」 どうやら、たまたま隣の席に座っていた女性がいつも自分と同じ停留所で降りることを知っていた青年が、次はもう自分たちが降りる停留所だというのに彼女が気づかずこんこんと眠り続けているのを「このままでは乗り過ごしてしまう!」と意を決して声を掛け、起

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私が触わっていい人

週末だけ手伝いに行く小さなワインバルのオーナーの三上さんには、もうずっと長いこと付き合っているカノジョさんがいる。 結婚はまだだけど、三上さんの左手の薬指にはいつも指輪が光っていて。日ごとどんなに彼に惹かれようとも、見えないバリアで私は決して三上さんには近づけない。今以上には1ミリも。 だけど───ぬか床をかき混ぜるときにだけ、彼は指輪を外す。 そのとき、そのあいだくらいは、三上さんとの恋を想像するくらいは許されるんじゃ、ないかな? ……そう思って、さりげなく彼を眺め

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彼が席を立った隙にリップを塗りなおした。恋をしている。

「ひさしぶりに仕事でこっちに来てるんだけど、終わったらメシでもどうでしょう」 彼からのメッセージが届いたスマホの画面を思わずスクショしたくなる。 「どうでしょう」って、行きたいです。 半年前に仕事の現場で一緒になったとき、好感ばかりが募った彼とのメシだ。返信をしながら、心に決めた。 今日は新しいリップを買おう。 ポケットに入れて持ち歩いているリップというのは、たいていいつの間にかどこかに失くしてしまう。ハンカチを取り出すときなんかに、ふいに落としてしまっているのかも

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ピン留めの惑星|プロローグ

『ピン留めの惑星』なぜだか昔から、ピン留めというのはすべてどこかへいってしまう。 一体、どこへいってしまうのだろう? 私たちのたいせつな一部だったはずのものたちは。 もしかしたら。失くしたピン留めたちが累々と流れ辿り着き、集まり積もっている場所がどこかにきっと、あるのかもしれない。 どこかの島、どこかの国、どこかの星に。 『ピン留めの惑星』がどこかに。 学生時代、恋多き惚れっぽい男の子が、友人に恋の相談をしていた時に放った言葉が忘れられない。 「だってお前、ここ

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