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23年6月29日 その5787『逢坂誠二の徒然日記』(7484)

夜明け前の都内の空、今日も雲が広がっていますが、雨の雰囲気はありません。湿度が高く、気温は23度です。日中は晴れ後曇りで、予想最高気温は34度の見込みです。

1)お前が始めたんだろう
河野大臣が、マイナンバーカードをめぐるトラブルについて、マイナンバー制度を始めたのは旧民主党政権だとして、野党議員の批判に「お前が始めたんだろ、と言い返したくなる」と語ったことが報じられています。25日、新潟の講演会でのことのようですが、呆れるほかありません。

行政の様々な分野でデジタル化が進み、コンピュータを活用しない行政運営は考えられないのが現実です。しかもそれは何も今に始まったことではなく、 20年以上前から、利用の範囲がどんどんと広がっています。

私が役所に勤務し始めた40年前は、住民基本台帳は手書きでした。住民税や固定資産税の課税は、札幌の電算機業者にデータを送って課税通知資料を作成してもらっていました。しかしその後の、社会の動きは早く、住民基本台帳がデジタル化されると、税をはじめ様々な情報が、住基台帳情報から派生する形でデジタル化されるようになりました。

役所に入った頃、選挙人名簿への定時(3月、6月、9月、12月)登録作業や選挙前の選挙時登録はもちろん手作業で行い、実に厄介な仕事でした。窓口に住民の皆さんが来庁される日中は作業に集中できず間違いを犯しやすいため、日常の業務を終えた後に集中して数日かけて実施したのは懐かしい思い出です。もちろん今、そんな作業をする必要はなく、デジタル化のおかげで、選挙人名簿への登録作業などは、あえて意識しなくても瞬時にしかも正確に対応が可能です。(前置きが長くなりました。)

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番号制度は、日本では1970年頃から導入についての様々な議論がありましたが、国民のプライバシーを侵害するなどとして実現に至っておりません。

その後も以下のような動きがありました。
1980年:大平内閣で「グリーンカード」という納税者番号制度を導入する法案が成立。金融業界の反対などで導入前の85年に廃止

1999年:小渕内閣で住基ネット実施のための法案提出

2002年:小泉内閣で住基ネットスタート

2009 年:麻生内閣が「社会保障番号・カード」を導入する方針を打ち出す

この後2012年、今のマイナンバーにつながる法案を、当時の民主党政権が国会に提出しましたが、11月の解散で「廃案」となりました。
自民党への政権交代後の翌2013 年、民主党政権時の法案を修正したマイナンバー法案を国会に提出し、安倍内閣の下で成立したのが、今のマイナンバーの根拠となる法律です。

こうした経過を見ると「お前がはじめたんだろう」発言は、全く不勉強で無責任、単なる他者への責任転嫁です。

2007年の消えた年金問題では、番号制度の必要性が強く認識されたこともあり、民主党政権では、国民を管理するという発想ではなく、国民が確実に所得の再配分を受けたり、迅速な給付を受けたりすることができること、つまり国民が権利を行使するためにも番号制度が必要ではないかとの考えのもと、法案を提出したのです。このように税の再配分や社会保障を確実に機能させることが目的だったのですが、当時の野党の賛同も得られず廃案になったものです。

もちろんその当時、保険証の廃止議論などは全くありませんし、医療情報などひも付けの拡大にも相当慎重でした。

そもそも2013年の法律成立以降、安倍政権下では、マイナンバーについて、慎重に検討しつつ、具体的な取り組みを行うということが十分に行われませんでした。コロナ禍になって、デジタル化の遅れが判明し、慌てて対応を開始したのが実態のように私には見えます。

菅義偉内閣で、急ごしらえでデジタル庁を創設し、飴と鞭を用いて、マイナカードの普及を急いでいます。飴はマイナポイント、鞭は保険証の廃止によるマイナカードの義務化です。

マイナ保険証を進めるならば実証実験が必要なのです。全国数箇所の、人口規模数万や数千の自治体で、マイナ保険証の先行実施を行い、問題点を克服して全国展開すべきなのです。それも行わずに、とにかく飴と鞭を使ってマイナカードの普及を決めたのは、まさに河野大臣です。「お前が」は河野大臣そのものと言えます。

今、行うべきことは、保険証の廃止を延期すること。システム全体の総点検を行うこと。今月2日に無理やり成立させたマイナンバー法などの改正法も十分に内容を検討してから施行すべきです。

さあ今日も、ブレずに曲げずに、確実に前進します。

===2023.6.29===

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