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石のイルカさえなければ

よく通る道に、入り口の前に石でできたイルカが鎮座したマンションがある。かなり立派なマンションで、それなりに家賃もするだろう。内見したことはないが、部屋の中もかなり綺麗だろうと想像される。当然ウォシュレット完備だし、収納もたっぷりだ。上の階であれば眺めもいいだろう。立地もよく、繁華街や大きい駅も近い。すぐそばにはコンビニもスーパーもある。

物件としては申し分ない好条件だが、仮に住めるとしても僕は住みたくない。知り合いのコネで安くなるとしても嫌だ。なぜならば、入り口の前に石でできたイルカがいるからだ。

石のイルカにもいろいろあって、僕にとって好きな石のイルカと嫌いな石のイルカというのが存在する。そのマンションの前にあるのは、ややデフォルメされたイルカで、表面をツルツルに加工して仕上げてある。墓石などを作る会社が作ったドラえもんみたいな、なんかそういうムードで、絶妙に嫌いなタイプのイルカなのだ。端的に言うと、はちゃめちゃにダサい。

もっと抽象化してあるとか、石の質感を残した作りだったりとかすれば嫌いじゃないイルカになる可能性は大いにあるのだが、あのフォルムとツルツル感は、ピンポイントで嫌なところをついてくる完璧なバランスだ。マンションの洒落た雰囲気をぶち壊すためにデザインされたとしたら、その試みは大成功である。

入り口の前にあるということは、家を出る時と帰宅した時に確実に目に入るということだ。さあ、今日も頑張るぞという気持ちは萎えるだろうし、一日の疲れはより重くのしかかるだろう。一回一回は取るに足らない影響かもしれないが、それが毎日となると笑い事ではない。徐々にストレスが蓄積していき、しだいにイルカに心を蝕まれ、僕の人格は崩壊するに違いない。こんなイルカセラピーがあるか。

人を招いた時にイルカを見られて「この人はこういうのが好きなんだな」と思われてしまうのも嫌だ。かと言って言い訳がましく「僕は全然好きじゃないんだけど……」などと言うのもかっこ悪い。何を言っても「でも住んでるじゃないか」と言われれば言い返せないのだ。

そうなればどうしたって「イルカのマンションに住んでいる人」というイメージからは逃れられない。久しぶりに会って挨拶した時に「ああ、あのイルカの!」と言われても文句は言えないのである。快適な暮らしに目が眩み、このイルカ嫌だな、という自分の気持ちから目を背けた報いは、超音波を頼りに目的地にたどり着くイルカのように、確実に自分自身に返ってくるのだ。

繰り返すが、このレジデンスイルカⅡ(仮称)は、誰もが住みたくなるような非常に良いマンションである。そこは疑いようがない。ただ入り口前の石のイルカが嫌なだけ。それだけなのだ。

今実際に住んでいる人は、石のイルカがそれほど気にならない人なのだろう。それはある種の才能だ。昔流行った「鈍感力」とはこういう力なのかもしれない。激動の現代社会を生き残るための方舟。それこそがレジデンスイルカⅡ(仮称)なのではないだろうか。


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