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薄まる麺つゆ

昼にざる蕎麦の大盛りを食べた。半分ほど食べ進めたところで、麺つゆがかなり薄まってしまってきていることに気づいた。今がギリギリ美味しく食べられるラインだ。これ以上薄まるとちょっときつい。

どうしよう。店員さんに言って新しい麺つゆをもらおうか。しかし昼時で客が多く店員さんもバタついている。ここで声をかけて引き止めるのは至難の業だ。そもそも麺つゆって追加でもらえるものなのか?「は?コイツ何言ってるの?」みたいな反応をされるかもしれない。でも味が薄いまま食べるのはもったいない。割と薄味はいける方なのだが、味の薄いざる蕎麦は嫌だ。ざる蕎麦なんてつゆの味に依存している食べ物なのだから、そこがぼやけたらもう何を食べているやらわからない。しかもこれは安い蕎麦だ。高い蕎麦だったら麺そのものの味を楽しんだりできるだろうが、安い蕎麦にそのような概念はない。安い蕎麦は麺つゆを運ぶための乗り物のようなものなのだ。スカスカの荷物を運ばせるなんて非効率である。なんとしても麺つゆを補充しなければ。それでたとえ追加料金がかかっても構わない。なぜなら安い蕎麦だから。物価上昇により1000円オーバーが当たり前になってきた外食業界において、大盛りのざる蕎麦は700円弱。仮につゆ追加で100円取られたとしても800円に満たない。全然オーケーだ。問題ない。僕の意思は決まっている。あとはそれを店員さんに伝えるだけである。しかしながら、僕はこういうときの「すいません」を大変苦手としている。平時でも苦手なのにましてや混雑時をや。できれば隣の席の食器を片付けにきたタイミングで声をかけたいが、あいにく隣席の客はまだ食事中だ。どうしよう。大きな声を出して注目を集めた挙句麺つゆの追加を断られるようなことになったら死ぬほど恥ずかしい。極力目立たずにうまく店員さんに声をかけたいのだが……

などと考えながらちょっとずつ麺を啜っていたら、結局味が薄いまま完食してしまった。終盤はもう味がぼやけにぼやけて雰囲気だけの自称印象派の絵画みたいになってしまっていたが、完食したときは「これでもう店員を呼ばなくていい」という謎の解放感があった。免許を取ったとき「もう運転しなくていいんだ!」と安堵したのを思い出した。

安いし蕎麦は好きだからこの店は多分また来るけど、次からはあったかい蕎麦か、冷たくてもぶっかけ系を頼もう。そう胸に誓った。こうして、今日もまた僕は少し成長したのである。

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