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宇宙のルール

ビニール傘の持ち手に貼ってあるシールが剥がれかけている。半径が70センチのサイズであること、強い風にも耐えられること、価格が711円であること。それらの情報がコンパクトにまとめられたメタリックな材質のシールだ。中途半端に剥がれてきているのでいっそ剥がしてしまえばいいのだが、なんとなくまだ剥がさずにいる。

剥がれかけのシールは見た目が良くない。ピシッと貼られているときはいいのだが、剥がれかけだとどうにも汚く見えてしまう。握ったときにぴらぴらと手に当たるのもストレスだ。ストレスなのだが、つい無意識に指で触っていたりもする。唇のささくれとか治りかけの瘡蓋みたいなもので、なぜか弄びたくなるのである。微量のストレスは人にとって快感なのかもしれない。

シールを剥がし、持ち手を覆っているフィルムも剥がしてしまった方が見た目は綺麗だし、使い心地も絶対にいいはずだ。それはわかっているし、実際ビニール傘を買ってすぐそうするときもある。しかし、今回に関してはどうにも剥がす気にならないのだ。このままでは傘を失くすとか壊すとかする方が先になるかもしれない。

別に剥がれかけのシールに愛着が湧いたわけでもないのだが、不思議と剥がせずにいる。なぜなのか自分でもよくわからない。何かしらの超科学的な力によってそうさせられているのかもしれない。僕に傘のシールを剥がさせないことに何の意味があるのかはわからないが、常人の理解の及ばない何かがあるのではないだろうか。

大いなる宇宙のルールに導かれし力によって、僕は剥がれかけのシールをそのままにして傘をさしているのだ。

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