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「ま、いっか」で着る

数ヶ月前に古着屋で買ったソニック・ザ・ヘッジホッグのTシャツを今日初めて着た。前面にソニック・ザ・ヘッジホッグの顔がどーんとプリントされたもので、着古されてボディはよれよれになっている。古着ならではの雰囲気が気に入って買ったのだが、なかなか着ることができずにいた。

着れなかった理由はいろいろある。第一は今年39歳になる人間がでっかいソニック・ザ・ヘッジホッグがプリントされたよれよれのTシャツを着てもいいものだろうか、という思いだ。もちろん好きなものを好きに着ればいい、という考え方はわかるし、自分でもそう思うのだが、実際にできるかというと別問題なのである。

歳なんて関係ないと言うのは簡単だ。だが、実際にそれを体現するには説得力がいる。もし僕が横尾忠則くらいの存在感のある人間であれば、ソニック・ザ・ヘッジホッグのTシャツを着ていることに違和感は生じないだろう。むしろいい意味でのアンバランスさがカッコよく映り、そこには有無を言わせぬ説得力が生じるはずである。

しかしながら僕は、古着のソニック・ザ・ヘッジホッグのTシャツをしっくり来させるほどの圧倒的な個性や内側から滲み出る只者でなさは有していない。よくも悪くもその辺にいる普通の男性で、丸刈りにメガネという小細工により平均よりはやや個性的な部類には入れるかもしれないが、その個性は前面にデカデカとプリントされたソニック・ザ・ヘッジホッグの顔を捩じ伏せるほどのものではないのだ。残念ながら。

着るのを躊躇してしまうもう一つの理由が、僕自身がそれほどソニック・ザ・ヘッジホッグのファンでもない、という点である。たとえ歳不相応であろうとも、ソニック・ザ・ヘッジホッグのゲームの大ファンであれば全く問題なくこのTシャツを着れるのだが、僕はほとんどソニック・ザ・ヘッジホッグのゲームをやった経験がない。小さい頃に近所のお兄さんか誰かにゲームギアを借りて一瞬触った記憶はあるが、そのくらいのものである。

ソニック・ザ・ヘッジホッグくらいになると、もはや作品を離れてキャラクターとしてアイコン化しているので、聴いたことのないバンドのTシャツとか観たことのない映画のTシャツを着ることほどの抵抗はないのも事実だ。しかし、それでもどこかに「そんなやってないしな」という後ろめたさはついて回る。普段は忘れられたとしても、ふとした瞬間に思い出し、胸に鈍い痛みを感じる、かもしれない。その可能性は否定しきれない。

僕の年齢が10〜20代前半であるか、超個性的なキャラクター性を有しているか、ソニック・ザ・ヘッジホッグの大ファンか。いずれかの条件に当てはまればこのTシャツはすんなり着れたのである。しかし、今の自分はこのどれにも当てはまっておらず、ソニック・ザ・ヘッジホッグTシャツを着る権利を獲得することはできない。そうして、しばらくの間ソニック・ザ・ヘッジホッグTシャツは、我が家のタンスの肥やしとなっていたのだ。

そんなTシャツを、今日初めて着てみた。着ない理由を散々説明しておいてなんで急に着るんだ、という話だが、理由は単純に「ま、いっか」という気になったからである。これは前述した「好きなものを好きに着ればいい」という思想ではなく、その全然手前の、まとまった思考にもなっていないレベルのふわっとした「ま、いっか」だ。なんだかよくわからないが、今日ふいにその「ま、いっか」のモードになったのである。

「やらない理由を挙げていくより、まず行動してみよう」みたいなありがたい話に繋げようと思えばできなくもないかもしれない。そうすれば、これを読んだ人が何かしらの「学び」を得られるのかもしれない。だが、そんなことは僕も、ソニック・ザ・ヘッジホッグも、ソニックの相棒のキツネみたいなやつ(尻尾を回転させて飛ぶ)も望んでいないはずなのでやめておこうと思う。

僕は、古着のソニック・ザ・ヘッジホッグのTシャツを「ま、いっか」で着た。ただそれだけのことなのだ。

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