見出し画像

ジョーカー好きが語る、「ダークナイト」と「ジョーカー」が描くジョーカー像②

続きを書いていこう。①はこちらから↓↓

次は、映画「ジョーカー」で描かれるジョーカー像だ。

この映画は2019年公開で、ホアキン・フェニックスが主演としてジョーカーを演じている。影響力が大きいと言うことで、公開当時に様々な騒ぎが起こっていたような気がする。

私も御多分に漏れず、「ジョーカー」を見るため映画館に足を運んだ。そして、前に座る男性が終始不可思議な動きをしており、冷や汗をかいたのも良い思い出だ。

見たことのある人は分かるだろう。この映画で描かれるジョーカーは、他の作品とは全く違う。むしろ、今までのものを考えながら見ると、肩透かしを食らうはずだ。それほどまでに、今作は新しいキャラクター像を描きだしている。

では、映画「ジョーカー」で描かれるジョーカーはどのようなものなのだろうか。

今作は、ジョーカーの過去を描いた作品である(ただし、他の作品とは違う世界観での話)。つまり、如何にしてジョーカーが生まれたか、と言う部分に焦点を置いている。

映画は、靴屋の宣伝を行うピエロが少年達に仕事道具の看板を盗まれ、挙句の果てに暴行を受ける場面から始まる。

このピエロこそが、いずれジョーカーになるアーサーだ。アーサーは突発的に笑いだしてしまう病を抱えながら、介護が必要な母を支えつつ生活している。勿論、生活は貧しいものだ。

この段階では、アーサーは悪人ではない。むしろ不器用ながらも母を助ける、心優しい人物として描かれている。

しかし、アーサーを取り巻く現実は最悪だ。ゴッサムシティは治安が悪く、彼と彼の母のような貧しい者・病める者に対する福祉の手は、全く足りていない。状況の改善は見込めず、現状維持ですら難しい。当然、アーサーは追い詰められていく。

アーサーはジョーカーの前身だ。彼は決して悪のカリスマなどではない。むしろ、社会の波に乗ることができずはじき出されてしまった、悲しくとも現実味のある存在だ。

アーサーはそんな環境に、長いこと耐えていた。しかし、ふとした拍子に起こしてしまった殺人と、決して知ってはいけなかった現実により、彼は狂気に陥って行く。この狂気こそが、アーサーがジョーカーとなる切っ掛けとなった。

映画「ジョーカー」を見たことがある人ならば分かるだろう。この映画は、見ているだけで相当疲れてしまう。常時神経を張り詰めさせられるような、そんな雰囲気があるからだ。

この映画で一番有名なシーン。それは、ピエロのメイクをし、スーツを着こなしたアーサーが、階段で踊るシーンだろう。

このシーンこそが、アーサーがジョーカーとなった瞬間だ。私はこのシーンを見て、張り詰めていた神経の糸が切れるのを感じた。それはもう、ものすごい解放感だった。

「もうジョーカーが生まれたから、大丈夫だ」
そんな感想を抱いてしまった。それほどまでに、過程が悲しく辛いからだ。

ここで一つ、疑問が生まれる。アーサーは妄想の世界に入り込みがちな人間だ。そして、彼の精神のバランスは、不安定なこと極まりない。今目の前に見えている映像は、「現実」のことなのだろうか。

「ダークナイト」で描かれるジョーカーも、「ジョーカー」で描かれる彼も、狂気的な存在である。しかし、その狂気の抱き方は全く違う。「ダークナイト」では狂気を内包しているに留まるが、「ジョーカー」では狂気に飲み込まれているのである。

アーサーが変じたジョーカーという存在。それは、極限まで追い詰められた人ならば、誰しもが陥ってしまう存在なのかもしれない。

長々と書いてきたが、これは私が思う勝手なジョーカー像だ。これから先も、考え方が変わって行くかもしれない。そして今度は、ここで挙げた映画の評論も書いていきたいと考えている。

読んでいただき、ありがとうございます! サポートしていただいた分は、見ること、読むことなどの勉強に使い、有意義なものにしたいと考えています。