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impose a curfew= 夜間外出禁止令を発令する | 教科書に出てこないニュース英語 《インド・民族紛争》

中東カタールの放送局、Aljazeera のウェブサイトで、2024年9月10日に配信された記事の見出しで使われていました。

India’s Manipur imposes curfew, cuts internet to quell escalating violence
インド・マニプル州、暴力激化抑制のため夜間外出禁止令を発令するとともにインターネットを遮断


◾️'curfew'を辞書で引くと

小学館 プログレッシブ英和中辞典(goo辞書)の記載は…

curfew [kə́ːrfjuː] 社会人必須レベル
[名]
1C(戒厳令下での)夜間外出禁止令;
U外出禁止;夜間外出禁止開始時刻[実施時間];(その)合図(用の鐘);((米))(子どもの)門限
2U《米軍》帰営時刻;((主に米))(一般に)門限
3U((歴史上))晩鐘,暮鐘,入相(いりあい)の鐘

語源[原義は「火をおおう」]

小学館 プログレッシブ英和中辞典(goo辞書)

この文脈(暴力激化抑制)では、
最初に書かれた「(戒厳令下での)夜間外出禁止令」
の意味でしょう。

語源に言及がありますが、これでは分かりにくいので、いつものように語源辞典で深掘りしてみましょう。

14世紀初頭、curfeu 、火や明かりを消す合図としての「定時に鐘を鳴らす夜の合図、」。アングロ・フランス語の coeverfu(13世紀後半)から派生した。

さらに、これは、古フランス語の cuevrefeu 、文字通り「火を覆う」(現代フランス語の couvre-feu)から来ており、covrir「覆う」の命令形 cuevre「火」feu から構成されている。

中世には、夜8時または9時に鐘を鳴らして暖炉の火を消し、就寝の準備をすることが一般的で、これは放置された火からの火災を防ぐためであった。現代における「定期的な移動制限」の拡張的な意味は、1800年代までに発展した。

https://www.etymonline.com/search?q=curfew

つまり、
フランス語起源で、
cur(=cover)+few(=fire)で「火を覆え」から、
→就寝時間→門限→夜間外出禁止令
 へと展開した語、ということでした。
これなら、なんとか頭の中でつながります。

1800年代までには、夜間外出禁止令が出されていたこともわかりました。


なお、inposeは、高校で出てくるレベルの単語です。

impose [impóuz] 基本単語レベル
[動]
1他〈政府・裁判官などが〉〈制裁・税・罰金などを〉(人・物に)課する,強制する
 The judge imposed a fine on him. 裁判官は彼に罰金を課した
2他〈責任・負担などを〉(人などに)負わす,押しつける
2a自(人に)迷惑をかける,(人の)じゃまになる

 Am I imposing on you if I stay overnight? 一晩泊まるとご迷惑でしょうか
3他〈意見・信念などを〉(人に)押しつける,強いる;〔impose oneself〕(他人(のこと)に)口出しする,出しゃばる
 impose one's opinion [ideas] on others 自分の意見を他人に押しつける
4他〈不良品を〉(人に)(だまして)つかませる;自(人・善意などに)つけ込む;(人を)だます
 impose on a person's good nature 人のよさにつけ込む
5他《印刷》〈組版を〉整版する

[コーパス]impose+名
 [一般]sanction/restriction/penalty/duty/tax/will
 [科技]constraint/condition/limit/limitation/requirement
  ◆[科技]では「条件・制約を課す」の意で用いることが多い.
語源[原義は「上に置く」]

小学館 プログレッシブ英和中辞典(goo辞書)

簡単に言えば、
im(=in,upon:〜の中に、〜の上に)+pose(=place:置く)で「負担を人の上に載せる、負わす」という語です。

◾️インド・マニプル州での加熱する暴力とは?

インド・マニプル州は、この記事のタイトルに示した赤い部分にある州です。
Wikipediaの解説を引用します。

マニプル州(マニプルしゅう、マニプリ語: মণিপুর、英語: Manipur)は、インドの北東部にある州の一つ。インドの北東端で、ミャンマーに国境を接する。中心都市インパール。22,327平方キロメートル、2,855,794人。

【歴史】
1944年、インパールを目指す日本軍が進入した。
1997年、タドウ語を話すクキ族とパイテ族の間でクキ・パイテ民族紛争 (1997年 - 1998年)が勃発。

民族の一部には、インドからの分離独立や州境の変更などを目指すグループがあり、しばしば治安当局と衝突が発生。2012年の死者は双方で110人との集計値がある。

2023年5月、多数派であるメイテイ族が政府に対し、自分たちを「指定部族」に認定するよう要求したことに少数部族で構成するデモ隊が抗議し一部が暴徒化、54人が死亡したと報道された。

【地理】
大部分を占める西のマニプル丘陵、東のレタ山脈などほぼ南北に走る標高1000~2000mの数条の山岳地帯中央に介在するインパール盆地からなる。バラク川、マニプル川などの谷がある。

https://ja.wikipedia.org/wiki/マニプル州

・ミャンマー近くという「インドの極東」という位置、インパール作戦の地
・インドからの独立を目指すグループの存在
・山岳地帯
・多数派メイテイ族vs他の少数民族の対立
…がキーワードになりそうです。


記事の概要は…

<リード文>
新たな民族間暴力の波に反応して平和を求める学生の抗議が起こる中、対応として外出禁止令が発令され、インターネットが遮断された。

<本文>
2024年9月10日、インド北東部のマニプル州では、民族間の暴力が1年以上にわたって続く中で、学生たちによる抗議活動を受けて、無期限の外出禁止令とインターネットアクセスの遮断が実施されました。

火曜日に、マニプル州内務省からの通知により、最近の騒乱を制御するために、インターネットと携帯データサービスを5日間停止するよう命じられた。

「一部の反社会的な集団がソーシャルメディアを利用して画像やヘイトスピーチ、ヘイトビデオメッセージを広め、公共の感情を煽る可能性がある」と通知は述べている。

マニプール州の3つの地区に外出禁止令が発令された。また、州政府は誤情報やヘイトスピーチを抑制し、さらなる暴力を引き起こさないようにするため、インターネットと携帯データサービスの停止を日曜日まで続けると発表した。

マニプール州は、インドとミャンマーの国境に位置する山岳地帯にあり、人口320万人のこの州では、圧倒的にヒンズー教徒である多数派のメイティ(Meitei)族と主にキリスト教徒であるクキ(Kukis)族との間で、経済的利益や政府の仕事、教育の枠を巡る対立が続いている。

軍の存在にもかかわらず、死者を伴う衝突が続いている。
<引用元にはビデオあり>

過去10日間で少なくとも9人が死亡し、複数人が負傷している。武装グループが自作のドローン攻撃やロケット攻撃を行ったためだ。

州都インパールでは、数百人のメイティ族が火曜日に発令された外出禁止令を無視し、最近の何度にもわたる攻撃を引き起こしたとするクキ族の戦闘グループに対して治安部隊が行動を取るよう要求した。

月曜日の学生主導の抗議活動は、群衆が治安部隊に石やプラスチックボトルを投げたのち暴力に発展した。また、別の地区では抗議者が警察から武器を奪い、それを発砲した、と警察は発表した。

火曜日には、マニプール州知事の家に向かって行進し、州内の平和回復を要求する数百人の学生に対し、警察は催涙弾を発射した。

学生たちは、16か月続く紛争を解決できなかった政府に対して失望している、と言っている。

昨年5月以来、村が襲撃され、家が焼かれた結果、約250人が死亡し、数万人が避難している。

学生のリーダーは、州知事に対して、暴力を制御できなかったとして州警察のトップと安全顧問の解任を含む要求リストに対する回答を24時間以内に求めた、と報じられている。

「学生たちには平和的な行進や抗議を行い、法に従うよう呼びかける。最近の攻撃について警察が調査を行っている」と、インパールの上級警察官僚は述べた。

https://www.aljazeera.com/news/2024/9/10/indias-manipur-imposes-curfew-cuts-internet-to-quell-escalating-violence

つまり、
多数派の民族が持つ特権(経済的利益・政府の仕事・教育の枠)に対して他の少数民族が暴力的に反抗、その暴力を抑えられない政府に対して抗議を行っていた学生が暴力化してしまった、という状況でした。

外出禁止令にもかかわらず多数派民族への武力攻撃もあったということなので、政府の力では抑えきれていないのが現状のようです。


ヒンズー化を強力に押し進めようとするモディ首相に対して他の民族の人々が感じる反感が高まっているという内容の報道を読んだことがあります。

中央政府から地理的に離れ、さらに、山岳地帯であるために多様な民族が存在するこの地域では、不安定になっている情勢を抑えるのが難しいのだと考えられます。

西側とも中国やロシアを含む新興国ともうまくやっているイメージを持っていたモディ首相ですが、広大で多民族のインドをうまく治めるのは簡単ではないようです。







































































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