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哲分補給-1 見る人のいない芸術作品は、芸術か?

「100の思考実験」ジュリアン・バジーニ著 の本をちろっと、たまに読んでいます。この問いかけに・・・お〜〜2日ばかり頭が占領されてしまった。。

「建設計画中の場所で、遺跡が発見された。箱の中にはミケランジェロの彫刻作品が入っており、箱の中にはガスが充填されており、巧妙な仕掛けの元開ければ必ず爆発、破壊されてしまうというもの。
解決方法は、この建設計画を取りやめ、この芸術作品を誰の目にも触れないままそのままにしておくか。安全な方法で破壊するか。」

【誰も見る事ができなくても、そうした芸術作品の存在に意義があるものだろうか。】

ダビデの像

 芸術作品の価値は、流通させることによって、それを良い、素晴らしい!と思う人がいてこそ、価値があるといえるのではないか。家の中の暗闇に保管されているピカソの絵などに価値が生まれようか。。
 私は素晴らしい絵を描く才能がありますが、絵は書きません。という人に画家としての才能があるという事になるのか?才能は発揮してこそ才能と呼べるものではないか。。

これが私の持論でした。しかしながら、「誰も見ることができなくても、そうした芸術作品の存在に意義があるものだろうか。」の問いに対して意義がない、といいきれない。じゃあ意義があるのか? ないとも言えない。ふにゃふにゃな考えになってしまった。

一人でも心底その芸術を認め、その人の心を掴んで離さないのなら、誰かが保有しているものなら納得が行くのだが、
でも誰も見なくても存在することに価値があるのではないか。夢や想像や、希望を生むことができるのではないか。地球に存在してさえいれば、もっともっと先の未来にいつか開かれることを信じることもできよう。

散々考えた挙句・・

この問題は、ミケランジェロの作品というとこがトリッキーなので、見ても見なくても、あってもなくても、ミケランジェロの作品というストーリーに価値があるということで、着地! 
私がこの建設予定地を買い上げ、超強化ガラスで包み、
「誰が私を助けてくれるのか」
というタイトルでもつけて、美術館をオープンしよう。
透視できる人が、レプリカでも作ってくれるかもしれない。その作品で十分美術館になるだろう!

でも、楽しかった! また読んでみよう♪
そして、こういう想像力を音楽に活かすのだ♫



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