見出し画像

2022→2023 special interview❷

Interview&Text by Yurie Kimura

*“ジゴクのような喧嘩”がもたらしたもの

――吉祥寺のライブはとても楽しかったし、大森洋平さん自身と歌の変化を感じました。何があったんでしょうね。


 落ち着いたんだと思います。ライブに来てくれた人に「元気になって帰ってもらいたい」って心の底から思うし、曲を作ったり歌うことのターゲットが完全に他者に向かったというか。

40歳くらいまではいろんな想いがあって、歌で自分を救うことに忙しかったんですよ(苦笑)。

2015年とか2016年、1年でライブ100本やっていた頃は、旅を回って歌って、みんなと楽しく飲んでふらふらになりながら、このままどっかでパッと死ぬんだろうな、と思ってました。

歌うことや歌を作ることを含めて何にも執着がなかったから、ちょっと達観したような感じで、もう終わりかなって。


――そこに登場したのがフジコさんだったんでしたね。2016年5月の終わりに下北沢であった、全編カバーのライブに、以前から飲み仲間だったフジコさんがやってきたのが結婚のきっかけだったと、去年うかがいました。


 「あなたは他の人に対して歌ってない」とか「あなたが歌ってることは嘘じゃないか」みたいなことを言われて大喧嘩になったり(苦笑)。確かにそうなんですけどね。

幸せについて歌っていたけど、“幸せ”がどんなものかなんて、あの頃はよくわかってなかったから。そこから5年くらいが大きな変革期でしたね。とくに最初の2、3年はジゴクのような喧嘩が多かった。


――“ジゴクのような喧嘩”って・・。すごそうですね(苦笑)。

 フジコさんと俺の価値観の違いがとてつもなく大きかったんですよ。例えば家族観。

俺は一人一人が独立した、家族の繋がりがあまり強くない家庭で育ったから、彼女の考える“家族の幸せ”をまったく受け入れられなかった。
フジコさんは「あなたの価値観では一緒にやっていけない!」ってブチ切れ、俺は俺で「だってそれしか知らないんだし、どうすりゃいいんだ」って。挙げ句の果てにはパソコンが飛んで、天井に刺さったりしてね(笑)。

そういうやりとりを繰り返すことでただただ殺伐としていくだけのパターンもあるのに、そうはならなかった。実りの多い喧嘩だったんですよね。


*みんなが喜んでくれる方へ


――一緒に生きていくべき二人、だったということでしょうね。そこを乗り越えたからこそ生まれた強い繋がりもあるでしょうし。厳しく指摘しながらも何があっても味方でいてくれる人の存在は、かけがえがないですね。


 「こういうものが家族なんだ」って今はちゃんと感じられているし、だから安定もしたんだと思います。

フジコさんと厳しいやりとりをしているうちに、生きる目的みたいなものがぼんやりと見えてきて、娘が生まれたことでさらにそれが明確になった。

もう一個の人生が始まったような気がしています。

――それで歌が変わったわけですね。

そう。俺はもう大丈夫だから、これ以上歌で自分を救う必要はないな、と思ったんですよ。
で、誰かのために歌う、ということを始めたら、その方が歌いやすかった(笑)。

――“歌いやすかった”?

 その方が歌うことの楽しさに特化できるんですよ。“こだわり”みたいなものはどうしようもなく出るものだから、あまり意識しなくていいと思うようにもなりました。

とにかく、人が喜ぶ方がいいなあと思う。

吉祥寺のライブで披露した新曲『LOVE&FUTURE』は、結構無茶なオファーを受けて書いた某企業のCM用の曲なんですけど、先方との「これです、洋平さん!」とか「助かりました、みんな喜んでいます」っていうやりとりに、俺自身がすごく喜んでいるっていう。

以前の自分からは考えられないですね(笑)。

――オファーは1週間前で、歌うだけかと思ったら曲も一緒に頼まれて急遽作った、とライブでも話していました。無茶だったのはスケジュールだけじゃなかったんですか。


 タイトルはこんな感じでとか、歌詞にはこんな言葉をとか、アップテンポな曲調でとかいろいろありましたね。

「相手の要求に寄り添うなんてロッカーのすることじゃない!」って、前の俺なら最初の段階で確実に断っていただろうけど、今はそういう変なこだわりはなくなっているので「確約はできないけど曲ができたら送るので、それを聴いて判断してください」って。

それくらい肩に力を入れずに対応できるようになりました(笑)。
 

(❸へ続きます)

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?