オールドレンズとフレア
NOTEを始めたばかりでどの程度のことを書いていいのかわからないけれど、日常の雑多なことでも大丈夫ですっぽいことが書かれていたので、そういうことも書いてみようかと思う。
病気になって仕事をセーブするようになると、俄然時間がたくさん出来て、ウロウロとお散歩するという行動に出るようになった。お医者さんも「投薬の関係で筋力の低下や骨密度の低下などの症状も出ますので、適度な運動はしてください。」と毎回おっしゃるので、それも含めてウロウロしてる。
ウロウロが続くとご近所でさえいろいろなものがあることに気づいて、何気にiPhoneのカメラで撮ったりしてたけれど、あまりに綺麗に写りすぎるし、それだと1秒もかからないで切り取ってしまうので面白くなくなってきて、カメラが好きな人に「デジタルカメラにオールドレンズをつけてマニュアルで撮ってみたら?」と勧められて、おまけにプレゼントしてくれたので、それを持ってウロウロすることになった。
楽しい。一言で言って楽しい。
花も虫も空も猫も、なかなかのモデルっぷりを提供してくれる。
もちろん、S◯nyのすごいカメラみたいに被写体を瞬時に追いかけて勝手にフォーカスしてくれるわけもなく、猫の目が横に広がったり、写したはずのカモの泳ぎが早すぎてお尻だけ写ったり、綺麗な薔薇の後ろの葉っぱにピントが合ってたり、楽しくて仕方ない。
レンズも3個、(望遠のオートフォーカスできるものと35mmで写るものと、50mmで写るもの)をくれたので、一丁前にカメラバックなんか買って持ち歩いて付け替えたりしてる。
私のカメラはAPS-Cだから50mmのレンズをつけると、画角が「近っ!」ていう風になるけれど、Industarっていうロシア製のオールドレンズが気に入っている。(写りも佇まいも名前も)
写真は小学生の頃、父親からカメラを買ってもらって好きで撮っていた。写真が撮りたくて遠足や修学旅行に勇んで持っていった。
当時はなぜかそういう行事の後、その写真をクラスに張り出して、みんなのリクエストに応じて焼き増ししてあげることになっていた。今思えば、なぜなんだろうと思うことではあるが、そうだったんだから仕方ない。スマホもない時代だったからかな。
カメラ小僧はクラスに2-3人いて、その中でリクエストの人気が高いのが、クラスの子供たちが写っている写真を撮る子。
私の写真には川沿いに垂れ下がる少し枯れた木の枝とか、緑の丘に一つ二つ咲いた黄色い山百合とか、景色や花や虫やなんかが写っていて、ほとんど人が写っていない。
人気がない。
そう、自分の撮りたいものだけを撮って他者のニーズなんてこれっぽっちも考えていなかったから。私としてはいい写真だなあと思っていたし、父親には「いいね」って言ってもらってたので、満足してた。
今思うと、あの人気写真を撮ってた男の子は、果たして撮りたいものを撮っていたのか、ニーズを読み取って撮っていたのか、どっちなんだろう?
再発するたびに入院して治療をして、その後、2ー3ヶ月はあんまりお外に出れなくてを繰り返すと、家にいて本を読んだり映画を見たり、妙に凝った料理を作ったり、一人遊びは昔から得意なんだけど、いかんせん、忙しく仕事をすることも好きだったせいか、なんだか自分が役立たずになった気がしたりしてた。
「忙しい忙しい」という口癖の人たちが、友人とのランチや美容院の予約もその忙しさの中に加えていると知った時は、「仕事で忙しいんじゃないんだ。」と思ったりするような人間だったから、仕事をセーブしている今、余計になんだかなあと思ってしまっていた。
生産性のない行動は忙しさの中に入らないと思っていた。
最近ではやっと、この生活が私の日常になったんだと思うようにして過ごせるようになった。
そう、私は忙しい。
カメラを持ってウロウロしたり、カフェに寄り道して人間観察したり、公園の猫の名前を教えてくれるおじさんと話したり、何にもしなかったり。
あっ、NOTEも始めたし。
どれもこれも私の時間の素敵なことで、生産性なんてなくったっていいし、いやむしろ限られた生活環境の中で私を豊かにしてくれるという生産性があるじゃないかと思えるようになった。
そう、それ全部私の「予定」なんだ。
あー今日も忙しい。
天気がいい日は、Industarと一緒にフレアを追いかけよう。昔だったら「写り込みが出てる」なーんて言われちゃうフレアだって、今ではこんなにも綺麗だ。
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