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「うろこ雲」と「ひつじ雲」ってちがうんだ!からのカリン・スローター「彼女のかけら」と「レクター博士」

手を伸ばして、小指または人差し指を1本立てます。雲の塊が小指に隠れた場合は、上空の高いところにできる巻積雲(=うろこ雲)の可能性が高くなります。一方、雲の塊が人差し指からもはみ出してしまうようであれば、高積雲(=ひつじ雲)ということになります。

ウエザーニュース

発生する高さが違うらしい。「うろこ雲」のことを「いわし雲」って言ったら、そんなの聞いたことないって言われたけど「うろこ雲」と「いわし雲」は、実は同じ雲の別名です。」ってちゃんと書いてあるから。

カリン・スローターの「彼女のかけら」を読んでたので、Netflixで2022年にドラマが配信されてたのを見てみた。

ローラ・オリバー役にトニー・コレットを持ってきたのって、私はいいと思った。ただのお母さんじゃない過去を持つ女性を表現するのに、顔立ちもスタイルも合ってた気がする。強くて脆そうなところも、少し神経質で影があるところも「シックスセンス」からだいぶ経ったけど、あの時も死人が見える子供を持って、不安で訳がわからなくて、それでも自分と子供に起こる理解できない事象に怯えながらも、子供を守ろうとする強さを併せ持つお母さん役が好きだった。
いい目をした俳優さんだと思う。

目って生まれつきなのかもしれないけれど、好きな目ってあるな。
最近「フローラとマックス」を見たけれど、ジョセフ・ゴードン=レビットの目も好き。眼球に当たる光の反射具合が好み。
別にキラキラしてればいいってものでもなくて、ちょっとした加減かな。

もちろん好きな目があれば嫌いな目もある。それもものすごく嫌いな目。
それは男の人の目で、黒目がちで白目が少なくて、光が奥にまで届いてない目。
実際にそういう目をした芸能人がいるんだけど、ファンの人もいるだろうから名前は書かないけれど、テレビをつけててその人がCMとかで映っちゃうと、虫唾が走るくらい嫌いでチャンネルすら変えてしまう。
理由はわからないけれど、生理的に本当にダメ。今、書いてて思い出してもウゲってなってしまう。
女の子のそんな目は好きなくらいなんだけどね。なんでだろ。
それはいい。

原作になる小説は文字量も情報量もあるし、読んでると読む人の中にビジュアルも出来てしまうだろうし、読む人によってどこをどんな風に捉えて膨らませているかそれぞれだと思うから、ドラマとか映画とか原作ありきのものを作る人たちって大変だなあと思う。

作品によっては、先に原作を読んだ方がいいのか、見た後で読んだ方がいいのか難しいところだとも思うし、あえて映像作品と原作は別物と考えてもいいと思うものもある気がする。

「ハンニバル」は大好きな映画なんだけれど、原作も大好きで、アンソニー・ホプキンスも好きだからそこのところは文句ない。
でも映画のラストシーンはちょっと無理がある。

まあ、小説のラストではダメなんだろうなとは思うけれど、私はあっちの方が好きだ。
クラリスとレクター博士が一緒に世界中にあるフェルメールを見て回る旅をする。
でも2人の間にはどうしても譲れないそれぞれの思いがあって、ほんの少しバランスがどちらかに傾くと、殺し合わなくてはならなくなる緊張感がある。
傍目にはお似合いの素敵なカップルとして、その緊張感を抱えたまま一緒に旅を続けるけれど、その旅がどのくらい続くのか誰にもわからない。
永遠と思えるほど長いのかもしれないし、あっという間に終わってしまうのかもしれない。でも、その旅が終わる時、どちらかが、もしくはどちらも死んでいるのは確実だ。

クラリスはレクター博士や悪や不正を絶対に受け入れる事ができない性格だから、その旅は辛いとは思うけれど、レクター博士に全く好意がないのかと聞かれれば、それは違う気がする。
原作ではそんなにも素敵で残酷なエンディングなのに、映画のエンディングでは描かれなかった。
クラリスがレクター博士の腕をぶった斬って逃げるなんて、仕方なかったのかな。

好きな映画のものをコレクションする癖がるから、映画の中でレクター博士がクラリスにプレゼントした靴と同じものを買った。
いつもだったらその店の店長は、何回買っても靴のデザインによってそれぞれ違うからって言って、試着してからじゃないと絶対売ってくれないんだけど、その時は「履けなくても欲しい。サイズなんてどうでもいいから取り寄せてほしい」って言って執拗に迫って取り寄せてもらった。
その時だけはサイズ違いでも売ってくれたから、相当、凄んだんだと思う。

「彼女のかけら」に戻ると、お母さんと娘の過ごしてきた偽りの日々も、お母さんの過去も、8話の中に収めるのは難しかっただろうなと思う。
母親の過去のせいですれ違う思いや、娘が間違って受け取っていた母の言葉や態度、それが娘に与えた影響なんかはうまく描かれていたし、原作を読んでなくても楽しめたんじゃないかと思う。
ただ、追われる人間と追う人間の、もっと陰湿で重大な出来事や、母と、結局は娘をも苦しめる父親ニックの、鬱陶しいほどの自分勝手な価値観が生みだす、原作の中に流れ続ける息苦しさは、もう少しキツイ感じではある。

ジャスパー・クエラー(主人公のお兄さん大金持ちの副大統領候補)役でファラミア(デビッド・ウェナム/ロード・オブ・ザ・リング)が出てた。
デビッド・ウェナムはかっこいい時とそうでもない時の差が大きい気がする。
ファラミアの時はかっこよかったけど「オーストラリア」に出た時は同じ人とは思えなかった。「300」の時はまあかっこよかったかな。まあ、それはいっか。

秋の夜長に本やドラマや映画をうろうろする幸せ。
でもさあ、夜長って言っても時間が増えてる訳じゃないんだよね。
実際に28時間くらいになってくれたら少し嬉しいのに。






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