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冬でもこんなに鮮やかな色で咲くんだね。

私は本当に馬鹿で、読んだニュースの記事が忘れられずに落ち込んでしまったりする。それも、かなり。

その人は50代の人で、お仕事のノルマが達成できずに自殺してしまったらしい。
その人の遺書が記事の中に載せられていて、それを読んでしまったら、どうにも心の整理がつかなくて。

本当に自分が嫌になるけれど、そんなもの、ただのネットの記事で、そのご家族や本人にあったこともないし、どのくらい本当のことなのか、本当のことだとしても、なんていうか、当事者にしかわからない苦しみや悲しみがあって、こんな遠くにいる赤の他人に何一つわかるわけでもないのに、そこに書かれていた言葉のひとつひとつが苦しくて、どうしてかなあ、なんでだろうなあと繰り返し考えてしまう。

その人は、遺書の中でも、まだ周りのみんなにごめんねと謝ってた。
最後まで自分のせいだと謝ってた。
できない自分が悪いんだと。
そして、死ぬのは怖い。死ぬのは怖いけれど、生きていく方法がわからなくなったと。私は勘違いしていた。そういう人はそういう時にはもう死ぬことが怖くなくなっちゃてるんだと思ってた。
怖いんだ。やっぱり怖いんだ。

なぜ、人はこんなにも残酷になれるんだろう。
苦しんでる人を見ても何にも感じないで、プレッシャーをかけ続けた周りの人達。
一緒に頑張ろうってその中の1人でも言ってくれてたら、そんなノルマ無理ですよって1人でも一緒に言ってくれてたら。

昨日カフェで、ものすごく大声で話していた5−6人の、あえて言わせれもらうが、おばさんの団体がいた。
入った時から私も「うるさいなあ」と思って、その席から離れた席に座った。
その人たちの馬鹿でかい話し声と笑い声で、カフェの時間も空間も台無しだった。

私が奥の席に歩いていく時に通った通路の席に、おじいちゃんが1人で座って、クロスワードパズルをしながらコーヒーを飲んでいた。
この距離だったら、ものすごくうるさいだろうなあと、通り過ぎる時に思った。

本当にうるさい話し声の中、コーヒーを飲んでいたら、突然
「ここは、あなた達だけの場所じゃないんだ。いい加減にしてくれ、うるさすぎるよ」と、聞こえてきた。
聞こえてきた方向を見ると、あのおじいちゃんが、おばさん達のテーブルの横に立っているのが見えた。
「本当に、うるさくて今まで我慢してたけど、もう、我慢できん。周りのことも考えてもう少し静かにできんのか」と、怒っていた。

私はたまらなくなった。
私が言えば良かった。ちょっと席が離れてたから「うるさいなあ」と思ってたのに、本当に、嫌になるくらいうるさいなあって思ってたのに、おじいちゃんに言わせちゃった。
おじいちゃんは多分、美味しいコーヒーを飲みながら、クロスワードパズルをして、楽しい時間を過ごしたかっただけなのに、あんな騒音の中で我慢できなくなって、とうとう、注意しに行ったんだ。
でも、その場所にいたほとんどの人はみんなそう思ってたはず。
イヤホンをつけてる人は外したとしても、その他の人はみんなそう思ってたはず。
「うるさすぎるだろ!」って。

おじいちゃんだって、あれだけの時間我慢してたってことは、好き好んで人に文句言いたいわけじゃなかったはずだから、そんな風に他人に注意とかしたら、自分だって気分悪いだろうに、本当に悪かったなあって。

座って5分くらいで、私も「うるさいなあ」ってちょっと大きい声で言っちゃってたんだよね。でも、あの騒音の中、私の席の距離からでは聞こえるはずもなく、情けないことにその後はイライラしながらも知らんふりを決め込んでしまった。
おじいちゃんの席の距離のこと考えてあげれば良かった。

私は別に注意したって、おばさん達に嫌われたって全然平気なんだもの。
だって、本当に本当に延々とうるさかったんだもの。

ちょっとしたことで、今日は朝からブルー。こんな時に使うブルーに悪いけれど、なんかピッタリくる言葉なんだなって改めて思った。
幸せがピンク色で、悲しみがブルーだなんて決めたくなんかないけれど。

ベランダの金木犀の鉢を一回り大きいのに、植え替えた。
ベンチとテーブルの位置を変えた。
落ちてる葉っぱを片付けて、箒で履いて、お水をまいてピカピカにした。

それでも、気分はちょっと晴れない。

夜はお風呂に入って、映画を見て、本を読みまくろう。
多分、チョコレートも食べるし、ココアも飲むと思う。

そのくらいで、ちょうどいい気がする。

本当、寒い日曜日になりそうだけれど、好き勝手して、楽しくあったかにお過ごしください。

植木鉢の裏にこっそり住んでる人達発見。
家賃もらうぞ。







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