りんごの気持ちになってみる。だからって食べないわけじゃない。
ベランダでりんごを剥いててふっと思った。
植物は自分が動物に食べられたりして危機に陥ると「今、動物に襲われてますよーもうじきそっちにも行くかもですよー、食べられちゃ困るでしょうから苦い味を生成し始めるといいですよー」的なホルモンを飛ばして半径どれくらいか(ちょっと忘れた)の植物たちに警戒を促すらしい。
もしかして、私から皮を剥がれてめった切りにされてるりんごのそれを察知して、愛するベランダの植物たちが、恐怖のどん底に叩き落とされているのかもしれないと。
りんごはキッチンでむいてから持ってこよう。
皮を剥がれて切り刻まれてる臨場感をホルモンで実況されるよりは、既に終わりを迎えた状態の方が影響が少ないかも。
りんごって収穫された時には、既にお亡くなりになってるのだろうか。もうそういうホルモンは出ないんだろうか。でも、りんごを他の果物と一緒に置いておくと早く成熟させちゃうんじゃなかったっけ。どれどれ。
ってことは、やっぱり生きてるっていうことなんだろうか。どっちだろう。
それにしても不思議だね。
成熟っていうのは度を越すと腐っていくっていうか、ようは土に帰る状態に近づいていくってことでいいのかな。生き物って全部そうだとは思うけど、あー変なこと考えだしちゃった。
話を変えよう。
だそうですよ。新聞紙って最近身近にないから(みなさん新聞とってますか?)コピー用紙でもいいのかなあ。
しかし、新聞紙って本当はすごく役に立つんだよね。いや、もちろん記事の内容とかもそうなんだけど、濡れた靴に突っ込んだら乾きが早いし、匂いも軽減するとか、まあ、りんごも然りなんだけど、あの紙の質感と、インクもなんかいいらしいよね、消臭とか。
適当すぎるか、どれどれ。
カーボンね、なるほど。
もっと興味がある方は、なんと「新聞紙が持つ消臭効果については以下の論文」とやらを発見しました。
[参考]Deodorization by Some Wastes of Daily Life
論文の7ページ目に日本語の要約が付いています。
なんでも突き詰めて考えると論文とかになるなんて、私のひろーくてあさーいちょっとした知識とは違った世界が広がっているのねと再認識。
新聞、とろっかな。英字新聞とかなら勉強にもなるし。今もあるのかなあ。
あっそうそう、今年の目標の一つに「メモをとる」っていうのを加えてみた。
学生の頃から私のノートは人気がなく、誰にも貸してくれとは言われない代物だった。まず、ちゃんと板書しない、字がでかい、単語しか書いていない。そんな感じ。
先生の話を聞いてる方が覚えるから、ノートをまじめにとったりした事がなくて、ポイントの単語を書いて、それを見れば後で思い出せる、自分だけにしかわからない謎の殴り書きだったから。
でも、映画を見たりとか、本を読んだりとかそういうのを書いてみようと思う。
だって、年末に「今年見た映画の中のベスト10」とか「良かった音楽ベスト10」とか書いてる人がいて、すごいなーと思ったから。
多分、きちんと何かにメモってるんじゃないかと思って。
それとも、暗記しててスラスラと出てくるんだろうか・・・。
まあいい、私はその時々に「いいなあ」とか「いいねえ」とか思っても、流石に時間が経つと忘れてしまうし、今はnoteにちょこちょこドラマのこととか書き殴ったりしてるから覚えてるけど、なんか、自分の年間ベスト10とか書ける人の事を単純にかっこいいじゃんと思った次第。
それに、その人のランキングを見せてもらうこちらとしては、例えば音楽なんて、そのランキングのプレイリストをまるっと聴かせて貰えば、知らなかった素敵な曲も聞けてありがたいったらありゃしない。
ドラマだって映画だって「あーこれは見たけど、これは見てない」ってなって、次、何見よっかなあって探しながらリモコンでカチカチする必要もないし。
ということで「丁寧に生きる」というなんだかわからない、大まかでいつまでたっても出来やしない目標の中に「メモを取る」という若干できそうな項目が追加された。
スマホのメモとかデジタルでもいいんだけど、文具フェチだからノートは売るほど持ってるし。
とか言いながら、それを書くようのノートを買ってしまった。
なんか手書きってところが丁寧に生きてる感が増しそうで。
バカだな。ほんと。
今日からお仕事の皆様、ファイティン!
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