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雨に流されてグランドに沈んだ1点と、腐りかけてもいいから、もう一度お母さんに会いたい。

今日も2ヶ月ほど逆戻りしたような寒さ。
先週は夏日に近い気温だった日もあったから、思いっきり冬物のブランケットとか部屋着とか全部お洗濯して片付けた。ソファーでくるまりたくてもくるまれない。
かといって、もう一度出すのも癪に障るから、とりあえず出しやすいカゴに入れておいたふかふか靴下だけ装着してみる。

この季節に降る雨の名前は色々あるらしく「なたね梅雨」くらいしか知らなかったのに、昨日のお天気ニュースで「たけのこ梅雨」なる単語を聞いてイマイチだなあと思った。わからなくもないよ。芽吹く季節にいい雨って事なんだろうと思う。でも「たけのこ梅雨」って。

去年、知り合いからタケノコをもらって、なかなか大変だった。
でっかい鍋がなかったから、まずはなんでも売ってるAmazonででかい鍋を買ってゆがいたんだけど、もらったタケノコが立派すぎて、お風呂に入ってるみたいな風情。
初めて自分でゆがくところからやったから、それはそれでご馳走感満載。
美味しいっちゃあ美味しい。

がしかし、タケノコのレパートリーってそんなにない。
とりあえずタケノコご飯、タケノコの煮物、ソテー、天ぷら、田楽、酢味噌あえ。
そのうちタケノコ自体がメインじゃなくなって、お味噌汁に入れたり、ちょっと細かく切って昆布と甘辛く煮たり、何にでも入れてしまわないと全部食べれなくなってきて、今年のタケノコメニューはこの時点で終わったなと。

あんなに大変だったし、やっと全部食べてもういっかって思ってたのに、今年は一回も食べてないことが気になる。
いや、おうどん屋さんでタケノコの天ぷらを入れてもらったね。
一応クリアしてるじゃん。って書いてたらタケノコご飯食べたくなった。
作ろっかなあ。ちょっともう遅い?

土曜日の巨人戦。
雨で6回コールド。0−0痛み分け。
6回の表、なんとあの(巨人ファンならわかる打率の低さ)小林くん(ジャイアンツのキャッチャーで広末涼子に似てる)がタイムリーを放ってやっとこさ両軍初の1点をもぎ取ったのに、雨が激しくなってその時点で中断。

そのまま中止に持ち込まれて、なんとあの小林くんの奇跡にも近い1点は、広島球場に降る雨と一緒にグラウンドに染み込んで、なかったことにされてしまった。
あんまりだ。

ルールはルールだってわかってる。でもあの小林くんが打ったんだよ。
5回までの「どうすんだこの試合?」っていう流れを、やっと動かした1点。
泣けるね。小林くん、きっといいことあるよ。


「異人たちとの夏」読み終わった。
日本人作家の作品は久しぶりだったので、その言葉を母国語に持つ人が描き出す、文章の隅々に溢れるたおやかな流れを堪能した。

日本人作家の作品が苦手なのは、歌の歌詞も同じなんだけど、日本語で紡ぎ出される言葉があまりにも心に入り込んできて、苦しくなる時があるから。
言葉の持つ情景や匂いや触感まで届いてくるみたいで、どうにも心が落ち着かなくなる。

だから今朝も少し心がおとなしい。自分の心なのに遠くにいるみたい。
会いたいのに、会えない人。会えないけど、会いたい人。
誰にでもそんな人がいるだろうと思う。
ずっと一緒にいられないのに、どうして大切な人と出会うんだろう。

私は臆病だ。
どうせ、なくなってしまうくらいなら初めから欲しくないと思う部分がある。
それでも、欲しい、欲しくないに関わらず、物でも人でも関係が生じてしまう。
だから必要以上に入り込まないようにする。しようとする。
でも本当はダサい人間だから、気がつくと必要以上に心が持ってかれてる。

今も会えなくなって(実際には会ったことはない)気になってる人がいる。
どうしてるんだろう。大丈夫かな、元気かな。大変なのかな。辛くなければいいのに。避けられない事情があるんだとしたら、少しでも息がつける時間があるといい。

会ったこともない人だし、その人の置かれた状況もわかるはずもないのに、そんな風に考えてしまう。
何もできやしないくせに。

ワンコもニャンコも一緒にいる時は楽しい。でも私が車に轢かれたり、ぼーっとして階段踏み外して転がり落ちて、打ちどころでも悪くない限り先に逝ってしまう。

お母さんもお父さんも、おじいちゃんもおばあちゃんもそうだ。
それでも出会わなかったら一緒に過ごせなかったし、たくさんの素敵な思い出だってできなかったんだから、だからこそ限られたその愛しい時間を精一杯・・・。

頭ではわかる。
頭ではわかるんだけれど、心の往生際が悪い。
わかるんだけど、そんな風にきちんと受け止めることが出来ない。

一緒にいる時には目一杯愛しいし、真正面から向き合うことができるタイプではある。でも、いなくなるんだよね。
いなくなるたびに、どの部分とははっきり言えないけれど、どこかしらの自分の部分が削られて、その大切な何かと一緒に持ってかれる気がする。
大切な人や生き物だから、持って行きたいならそれはそれでいい。

だから聞きたい。
ずっと一緒にいられないのに、どうして大切な人と出会うんだろうって。
「だからこそ、その瞬間が素晴らしいんだよ」っていう答え以外の答えを。
その答えでは納得できない。





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