雨の匂いを含んだ春のような風が吹いてる。
朝から生ぬるい風が吹いてる。午後から雨にでもなるんだろうか。
それにしても生ぬるい。不穏でもあり、心躍る風でもある。
ベタ(ベタって魚)のアッティは、餌おあげると何回かに一回はペッって吐き出す。あれは遊んでいるんだろうか。
お口に合わないわけでもないらしく、何回かペッってしたら食べる。
不思議な生き物だ。なんか、なーんか彼なりにあるんだろうな。
って書いてるうちに、雨の匂いがしてきた。
それもこの季節の雨の匂いではなくて春先に降る雨の匂い。
街にいるのに、土の香りと緑の香りを含んだような甘い香りの風。
春が来るのが早いんだろうか。
今、他の本を読む合間に澁澤龍彦の「高丘親王航海記」を読み返している。
なぜか時々読み返したくなる本の一冊。
今日吹いてくる風と雨の匂いにピッタリだ。
遠く天竺へと船に乗り旅立つ親王。
澁澤龍彦の本は他にも読んでいるけれど、この本が一番好き。
何回読んでも、色々なことに興味を持ち、色々な本を読み、時には旅に出て経験し、色々な人と過ごし、想像を膨らませて生きてきた作家が、好きなことをたくさん集めて厳選し、多分本人もワクワクしながら書いたんだろうと思える。
子供の頃から憧れた天竺へと港から旅立ち船の舳先に立つと、まだ見ることすらできない遠い世界を顔を上げ、しっかりとした瞳で見つめる親王。
その心のワクワクとこれから起こるであろう色々な冒険と、いずれ迎えるであろう穏やかな最後。
読み始める時いつも同じ風を感じる気がする。
どこかへ、どこかへと、気持ちがざわざわして、ここに止まっていることが落ち着かない気分にさせられる、そんな風。
でも、その風を感じるときはいつも1人で、その旅にも1人で旅立たなくてはいけない。
そしてその旅は終わることがなく、ここに戻ってくることは決してない。
少し怖いけれど踏み出してしまえば清々しく、今まで自分が過ごしてきた有様を振り返りながら、目の前に広がるまだ見ぬ世界に心躍らせる。
でも、やっぱりここには帰ってこない。そんな旅に誘う風。
浮ついた気分と、しっかりとした意思がまぜこぜになって、どっちにしろ落ち着いてなんかいられない。
昨日の夜から、ご近所さんの猫さんたちが忙しない。
猫さんたちは恋の季節なんだろうか。
夜中になってもナオーん、ナオーんって泣いている。
最近のお外にいる猫さんは耳の先っぽが三角にカットされてて、初めて見たときはびっくりした。仕方ないんだろうね。
あの猫を見るとカズオ・イシグロの「私を離さないで」に出てくる子供たちを思い出す。
そういう行為をしても絶対に子供ができることはないように作られた子供たち。
耳が三角にカットされた外猫さんたちは、自分の子猫を見たいと思う事はないんだろうか。
お母さん猫になって、子猫の体を舐めてあげたいとか、はしゃぎ回ってすぐにどこかに行ってしまう子猫たちの首を噛んで、自分のベッドに戻したいとか思わないんだろうか。
そういう手術をしたら、そんな気持ちも一緒になくなるのかなあ。
ああしなくてはいけない大人の理由があるのは知ってる。
ただ、そう思っただけでそれが良いとも、悪いとも言ってはいない。
夜中にお外猫がナオーん、ナオーんって言ってる声が聞こえたから、そう思っただけ。
生きていくのは、人間以外でも難しいこともたくさんあるんだ。
でも、大体は人間以外のもののそれを決めるのは人間のような気がして、少しごめんねとも思ったりもする。
まあいい。
今日はバレンタインデーではないですか。
どうです?どうでしょう?
ニュースではあんまりそういうイベントは減ったらしく、家族とか友達とか自分とかにチョコを買うのが流行りとか。
お父さんが生チョコが好きだから、毎年どれにしようかってデパートに繰り出してたお母さんを思い出す。ついていっておこぼれに預かる私。
おまけにそっちの量の方がお父さんのそれより多かった気がする。
良いイベントだと思うけどな。禁止してる学校もあるんだって。
これもまた大人の理由があるんだろうね。
とにかく、どんな愛でも時々は形にしてみせないと、なくなっちゃいそうだから、甘くてとろけるチョコレートなんていいアイテムだと思う。
一度は手にしたはずなのに、あっという間にとろけてなくなっちゃう。
それに素敵な愛でも、いつもいつも見せられるとありがたみがなくなったり、人によってはうんざりしてしまうかもしれないから、適度に存在して、適度になくなって、また恋しくなった頃、目の前に現れる。
そのくらいでいいのかなと。