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鳥が綺麗に撮れるカメラ VS 雰囲気のいい写真が撮れるフィルムカメラ。悩ましいぜっ。

この間、川端康成の「雪国」を読んでみようと書いたけれど、何ページか読んでみてどうも進まない。どこがっていうのでもないんだけれど、どこかなんだろうな。
ついつい同時進行してた「アンソニー・ホロヴイッツ」の「ナイフをひねれば」の方に時間を割いて読み終えてしまった。

そっちを読み終わったんだから今度こそ「雪国」と思ってKindleを立ち上げては見たものの、その横の「イアン・リード」の「もっと遠くへ行こう」を開いてしまった。
これはどうしても仕方のない事だと思うことにしよう。
素直な指先。

スヌーピーのひめくりを使ってるんだけど、毎日毎日、ちょとしたお話に癒される。いや、癒されたり笑わされたり、相変わらずみんなのキャラが可愛いし、憎らしいし、とぼけてるし、くだらない事で悩んでる奴がいると思えは、おいおいそこはもっと真剣に考えた方がいいんじゃ?っていう状況にもぶつかって、毎日大忙しだ。

このひめくりのいいところはもう一つあって、日曜日にはイラストだけで何も書かれていないってところ。わかってるよね。
これは日本版なんだけど、海外版は土日が1ページにまとめられている。
そこがちょっと違うよね。
日曜日は特別だから何もしなくていいんだよっていう感じが日本版の方が出てて好き。
逆に日本の方が平日のストレスが強いんだろうかと思わなくもないが、まあそこはそれで。

シュローダーはベートベンを崇拝していて、おもちゃのピアノでそれを弾きこなすってことになってるんだけど、あの鍵盤の少なさで弾きこなすとしたら、途中で音階をそっくりオクターブ単位で移動させつつ弾くんだろうか。
だとしたらすごいな。まじ天才だ。
ルーシーに冷たいあたりもなかなかね。

まあ、ルーシーはちょっとばかり、気が強いし、口から先に生まれてきてるようなとこあるから。
でも、ルーシーみたいな子がシュローダーみたいな子を好きっていうのも、さすがシュルツ、なかなかやるよね。よくわかってる。

忘れちゃってるけど、チャーリー・ブラウンって野球の試合で結局一回くらいは勝ったことあるんだったっけ?
どっかに本があったなあ。まあいいか。
毎日のちょっとだけ触れる世界で満足しとこう。
今はそのくらいの日々がちょうどいい感じで楽しいし。

知り合いがカワセミの動画を教えてくれて、俄然カワセミッチェルのお家が知りたくなった。お家を見つけると何度も見ることができるらしい。

しかし、どうやって見つけたらいいんだろう。いつものあの場所の近くにいるのか、それともちょっと離れたところがお家なのか、声はいつも聞こえる気がするんだけどな。
見つけるのって簡単じゃないよね。
だって、一応、人間の生活範囲にいるとはいえ、野生だもの。

おまけに私のカワセミっチェルは、女の子だってことが判明した。
嘴の下がオレンジ色の子は女の子なんだって。
でも、今のカメラでは絶対にきちんと写せない。
ハチドリみたいにホバリングする姿だって、絶対無理。
狙いすましてお魚を捕食する姿だって、絶対無理。
くーーーーーーーー。悩ましい。

もう一つあって、最近、フィルムカメラも撮ってみたいと思うようになってきた。
noteを見てて、とても綺麗で深みがあってイカした写真を撮る人がいて、その人が写す写真が好きで、真似っこしたい。
いや、真似っこしたからってすぐに撮れる訳ないのはわかってるんだけど、形から入る私としては居ても立っても居られないのだ。
落ち着け私。

カワセミッチェルを写すカメラセットと、フィルムカメラでは、揃えるものも全く違うし、知識も追いついていってない。あーあ。

どっちも一緒にっていうのは難しいよね。
すぐになんでもやりたがる癖があるから、気持ちだけが焦ってしまう。
焦っても仕方ないのに。

カワセミッチェルは春先に元気がいいらしいってことはわかってる。
春先の朝方。お腹が空くらしい。
とりあえずそこまでは今までのでいって、お家を探すことに賭けてみるか。
だとしたら、フィルムカメラが先かなあ。

考えるだけでウキウキするぜっ。
今の仕事終わったらカメラ屋さんに行こう。
よしっ、さっさと仕事を終わらせよう。
いや、語弊があってもいけないな、ちゃんとやるよ、丁寧に。
丁寧に早く終わらせるっていう意味だから。

ハールよ、コイっと。

さてここで問題です。
画像のカワセミは男の子でしょうか?女の子でしょうか?

スヌーピーの世界だったら「多様性の時代だからね」って4コマ目で言いそう。





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