仁義なき菓子まき

仁義なき菓子まき

共働きで父は単身赴任だった子供時代、いわゆる年中行事をした覚えはあまりないものの(なんなら私の誕生日も忘れてしまうほど。それはまた別の回で)、なぜか母は節分のときは、率先して豆まきをしてくれました。正確に言えば「菓子まき」です。ちなみに、豆まきをしていたかどうかは記憶があやふやですが、菓子まきは鮮明に覚えています。

2月3日。普段通りに夜ご飯を食べ終えた後、母と子供3人がリビングに集まります。母が「パイの実」やら「カントリーマアム」などのファミリーパックのお菓子を手にしてパサ~と投げ、子供3人がそれらを拾います。新築における餅まきと同じ要領です。狭いリビングでやるもんだから、勝負は一瞬です。まく量も多くなかったと思います。

4つ上の姉と2つ上の兄、そして私。どうしても不利です。小学校3年生のとき、ほとんど拾えませんでした。そしてリベンジをかけた4年生のとき、やっぱり拾えませんでした。拾えなかった悔しさとお菓子がない悲しさで泣く私に、母は「はい」と残りのお菓子を手渡そうとしてくれました。しかしそのとき、姉はこう言いました。「あんた、なんのためにミニバスやってるの! このときのためでしょ!」。えっ、そうだったの……。子供が3人もいると、そこはもう、サバンナの世界。食うか、食われるか。結局その残りのお菓子もまかれることになり、姉か兄かが手中に収めました。

月日はめぐり、2月3日がきました。ミニバスで鍛えたフットワークはこの日のために。空中戦でも善戦し、三等分とまではいかずとも、これまで姉と兄に奪われてきたお菓子は、確かに私の手元にありました。末っ子というものは、こうして大きくなっていくのです。

その菓子まきは、もしかしたら母も親にしてもらったのかもしれません。もし私にも機会があれば、菓子まきを通じてサバンナの世界を教えてあげたいなと思っています。

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