プッチンプリン

プリンに見る平等という名の不平等

私には4つ上の姉と2つ上の兄がいます。親が共働きだったこともあり、小さいときから姉がいろいろと面倒を見てくれていました。

例えば夕飯作り。なんとか楽しくできないかと思案した姉は、「ミスター味っ子ごっこ」と命名し、姉と兄とで料理対決をして私が判定する、ということもしていました。当然、姉の方が上手です。でも姉ばかり勝利だとかわいそうだと考えた私は、「甲乙つけがたし」などと言って引き分けにしていました。そんな名残もあり、いまでも姉は我が家のCEOだと私は思っています。いろいろと助けてもらっています。

小さいながら姉には「お姉ちゃんだから我慢する」という気持ちもあったんだと思います。立場が違えばいろいろと思うところもあるものです。私は私で「お下がりばっかりだ」「一人部屋になれない」などと思っていたんですが、まぁ、いまとなればそんな大した不満ではないです。ただ「いつまでもおちびさん扱い」は、大人になったいまでも続くとは思ってもいませんでした。

その姉が我慢していたことのひとつが「プッチ○プリン」だったそうです。3つ仲よく並んだあの三つ子のプリン。きょうだいがいる家庭にはちょうどいいですよね。でも姉は「おかしい」と問題定義しました。「3人とも歳が違うのに、なぜ同じ大きさなのか」

小さいとき、給食にクラッカーが出たことがある人には覚えがあると思います。小4になったとき、クラッカーがちょっと大きくなっていました。さすがに一緒に付いていたイチゴジャムは大きくなりませんでしたが。姉があそこに着想を得たかどうかは不明ですが、平等は不平等だと、姉は幼心に感じたようです。

そして月日が流れ、某企業さんは2倍以上のBigサイズ、さらには5倍以上のHappyサイズを開発してくれました。世の中の長男長女のニーズに応えてくれたのです。姉よ、思う存分食べておくれ。

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