あの食卓をもう一度【#あざとごはん】
昔から偏食だった。
魚も野菜も嫌い。あんたは赤ん坊の頃から食が細かったのよ、と言っていたっけ。
高校生にもなるとお袋、ともお母さんとも呼ばずにふざけてアキコさんなんて名前で呼んだりすると喜んでたな。
一日の計は朝にありってね。
しっかり朝ごはん食べないで家を出て行くのは、ガソリン入れずに車を走らせようとするものよ。
物でも人でも動かすにはエネルギーが必要なの。
だからちゃんと食べなさい。
うん、でも騙されたと思って食べなさいと言われて口に運んだ納豆。
あれ腐った豆だからね。
うえってなったからね。
そう言ったら恨めしそうに睨んでいたけど。
お袋の味とかいうけど、思いつくのは餃子、カレー、肉じゃがくらい。これって三種の神器?ならぬ三種のアキコの味。
この3品だけは太鼓判ものだ。
あともう一品。何かのレシピを見て作った食パンとゆで卵とタマネギのサラダ。
これも試しに作ったらしいけど、食べてみたら思いの外美味い。
すぐにアキコの得意レシピに加わった。
食パンの耳を取ってサイコロのようにカット。
それをキツネ色に揚げたものとスライスした玉ねぎと茹で卵を適当に潰してマヨネーズと粒マスタードで和える。
レモン汁をちょっと垂らすとサッパリ感も加わり、シャキシャキのサニーレタスを敷いたガラス皿に載せると、アキコでも小洒落たもの作れたね、となり、たちまちドヤ顔になった。
いつのころからか、食卓を3人で囲むことが少なくなっていった。
皆んな働いてるし、帰る時間もまちまちだし、朝だって俺はほとんど食べないし、仕方ないと思っていた。
それは言い訳だ。薄々気づいていたけど目を瞑っていた自分。
もう限界なの。
ごめんね。
パパとはもうやっていけない。
そうアキコに言われるまでまだやり直しがきく、なんとかできると思っていた自分が情けなくなった。子はかすがいなんて言われるけど、俺は二人にとってそうはなれなかった。
役立たずだ。
親父と2人きりの食卓に、親父が腕を振るった料理が並ぶ。
味つけも凝っていて、見栄えも良くて、最近親父はオヤジメシだかなんだかインスタに上げ始めたらしく、すぐにイイねがつくと喜んでいる。
大雑把なアキコの大皿料理とは大違いだ。
そうやって親父なりに精一杯気を遣ってくれているのもわかる。何食べたい?ってアキコがよく聞いていたように俺に聞く。
もう俺、24なんだけど。
親のジュクネンリコンなんて友達のとこだってそうだよ。うちに限らず、特別な事なんかじゃないから。
土曜日。
珍しく7時に起きた。
休みの日にはいつも昼まで寝ているのに。
親父は仕事だ。
もう一度寝ようと布団に潜っても目が冴えて、もういいやと起き上がり階下へ降りる。
もうアキコはいない。
小さなアパートに一人で暮らしているらしい。
そこに訪ねて行ったことはまだない。
LINEや電話でたまに生存確認する。
ちゃんと食べてる?決まってこう聞かれる。
食欲ないんだよ。
健康補助食品が俺の朝メシというと声のトーンが下がる。
そんなの栄養になんかならないからね。
ちゃんとしたもの食べないと。
俺はアキコがかつてそうしていたように台所に立つ。
ごはんを温め直す。
味噌汁も温め直す。
あのサラダを作ってみるか。
食パンの耳を切り落とす。
小さくサイコロのようにカットする。
鉄のフライパンにオリーブ油を1センチくらい入れて火をつける。
食パンを投入。様子を見ながら菜箸でひっくり返してキツネ色になるのを待つ。
ゆで卵もつくり、半分の玉ねぎをスライサーでおろす。
カラリと黄金色に揚がった食パンとゆで卵と玉ねぎをボウルに入れる。そこにマヨネーズと粒マスタードと黒胡椒も入れて和える。
一口味見をする。うん、まあまあイケる。
冷蔵庫を開けて納豆のパックに手を伸ばす。
食卓にごはん、味噌汁、サラダ。
そして納豆。
百回かき混ぜると美味しくなるから。
アキコの声が聞こえる。
ぐるぐるふわふわになった納豆をごはんにかける。恐る恐る口に運ぶ。
あれ?美味い。
腐った豆だなんて言ってた口はどこだ。
熱々の味噌汁もピリッとマスタードも効いているサラダも美味い。
でも3人で囲んだあの賑やかだった食卓はもうない。
クソ。
俺はもう24なんだぞ。
小学生じゃない。もう大人なんだ。
それなのにこうしてメシを頬張りながら涙が出てくるのはなぜだ。
アキコがいなくたって俺もこうやって朝飯を作って食べられるじゃないか。
納豆だって食べられる。
野菜も美味いとわかってきた。
昔、ちゃんと食べなさいよとアキコの心配そうな顔を何度曇らせてきただろう。
食べなさいよという愛を何度鬱陶しがってきただろう。
涙は塩味で味噌汁にアクセントになった。
LINEの通知音がした。
俺は食べかけの食事風景をスクショして送った。
俺はそう送ってガキみたいに泣いた。
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