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いつからこんな姿に?

一年一年歳は取ることは当然ながらわかっていた。誕生日がくるたびに手放しで喜んでいた子供の頃。好きな人からおめでとうといわれて嬉しかった中学生の時。
初めて付き合った人から年齢分の薔薇の花束を受け取った日。
その年齢に応じていろいろな事があり、気づけばすでに人生半分を回ってしまっていた。
そして鏡の中に見てしまった。
若かりし頃に、ああはなりたくない、などと思っていた姿を見てしまったのだ。

オバサンという人種。


おじさんという言葉にはそこはかとない哀愁と可愛らしい余韻があるのに対し、オバサンはカタカナでも破壊力がハンパない。(気がする)
せめて宇宙人でもあれば有名になったり、良い感じに取り上げられたりするかもしれない。
しかしオバサンにはどちらかというとネガティブな響きがある。図々しいとか、ふてぶてしくて怖いとか?ずんぐりむっくりとか。
そのオバサンが鏡の中からこちらを睨んでいる。


ブルドッグと呼ばれるほうれい線くっきり。
顎もふたつ。
横からみたら顎と喉の境目が無くなっている。
どこにいった、わたしの顎は。
こめかみをぐっと引き上げるとほうれい線が消える。
そう、頭皮と顔は繋がっているのだ。
完全に弛み、緩みだ。
しみも増えた。
ただのくすみよなどと誤魔化しようが無い。
いったいいつのまに。
呆然としてしまう。


下腹の肉を思い切り引っ張ってみる。
その時だけスリムな身体になる。
手を離すとたちまち肉が腰回りと下腹に装着される。付け替えできるの、これ。
外国だとどーんと立派なオバチャンも派手な水着を着て突き出た腹もなんのその。海岸線を闊歩しているが、わたしにはまだその覚悟が無い。
歩く核兵器、今そこに在る危機となる勇気が無い。


劣化する。
いつの頃からか老化を劣化と呼び、揶揄する風潮が生まれたと思う。
見苦しくなったということだろうか。
アンチエイジング、美魔女などという意識も浸透したのも、それからだ。
そんな悲しいことは言わないでほしい。
歳を取って何が悪い。
ゴツゴツとした幹だけになり枯れていくことに美を見出せない幼稚さ。
細胞が若返ることはない。どんどん赤ちゃんのそれに戻ることはない。


美しく老いていく、枯れていく。
孫がいなくても、本物のおばあちゃんになれなくても老いていくひとりの女として、目尻の幸せ皺に誇りを持って、たるみも緩みも肯定して生きていこう。


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