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1993年春、当時自分らが始めた「ロックとプロレスに関するミニコミ」において、快くインタビューに応じてくれた松村雄策さん。29年の時を経て、その誌面から抜粋して掲載する〜その3

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■プロレス編

――まず初めに、長州力対天龍源一郎の東京ドームの試合(1993年1月4日)についてお願いします。
松村 あのあと、天龍にインタビューしたんだけど、なにか天龍本人は評価されてないと思ってるらしいよ。僕は「そんなことないですよ」と言ったんだけど、ドームの試合はゴツゴツしてスマートに進まなかったらしくて、そのへん結構気にしてるみたいだね。「だからこそ素晴らしかったんですよ」と言っても、本人はもう一つだったみたいだなあ。
――自分らは実際観に行けなかったんですが、ああいう結果は予想されていましたか。
松村 うん。だからああいう会場でのWARファンってつらいのね(笑)。WARのファンってたいてい1人か2人で来るから、小さくなっちゃて……。またひどいヤジが出るんだ、「相撲くずれ!」とか。そうすると、みんな下向いてんの。そんでボソッと「くずれじゃない」とかね(笑)。「ちゃんと幕内まで行ってるぞ」とかポツンポツンと言って、初めのうちはおとなしく観てるんだけど、そのうち腹立ってきて、ヤジとばすヤツ睨みつけたりしてさ。一緒に行ったヤツなんかに「やめてください、松村さん」とか言われるぐらいのノリになってくるんだよね。そんで「折原、行け!」とか僕1人で声出すじゃない。そうすると、周りの新日ファンがビクッとするんだ(笑)。そのへん結構おもしろかったけどな。そうしてるうちにほかのWARファンも勢いづいてきて、いろいろと声援を送るんだよね。
――斎藤(まこと・『ロッキング・オン』の編集者)さんもWARのファンなんですか。
松村 違うでしょ。WARのファンって僕だけじゃない?(笑)
――はあ。
松村 別にいいんだよね。あれはそんな、ねえ。殺し合いじゃないんだから(笑)。すごいいい試合が観れればいいんだから。まあ、ちょっとダサい試合をする選手もいるけれど、どっちが勝とうといいんじゃないの。例えば、ライガーが勝とうと(ウルティモ)ドラゴンが勝とうと、ね。天龍と長州のどっちがどれだけ差があるかなんて問題じゃないんだから、もうどっちが勝ってもおかしくないよ。
――藤波と石川(敬士)の試合はどうでした?
松村 藤波はなにか情けなくなってしまいましたね。この間も(1993年2月14日・東京体育館のタッグマッチ)、初めに天龍が出て石川を引かせて、藤波を指さして「お前が出てこい!」って言ったのに、出ていかなかったのね。で、馳が一応気を遣って「よし、じゃあオレが行く」と張り切ったところで、当然藤波が「待て、オレが行く」と後ろから出てくると思ったのに、出てこないんだから(笑)。馳が途中で振り返ってたもんな。もう、馳とコーナーとの間の中途半端な位置で「どうしようかな」って感じだもの。あれは非常に情けなかった。僕は藤波にずっと期待してて、去年のカムバックで、ボクサーとやったときも喜んで観にいったんだけど、なーんかダメになっちゃったなあ、あの人。あんなふうになっちゃうものかなあ。
――いまの藤波を見ても、そう思いますか。
松村 なんか一歩引いてるでしょ。
――ファンとしても、ここまで来たらガーンと行ってほしいですよね。
松村 そんで、石川に対して「格下だ」なんて言っちゃってるでしょ。そんな格上だとか格下だとか言ってるうちに中堅選手になっちゃうんだよね。昔は猪木、藤波、木村、長州のような序列があったんだけど、いまはそれが崩れちゃって、長州、木戸、木村で、藤波が一番下になっちゃっている。なんか、情けないよね。
ーーそれじゃ、天龍と長州の頂上対決を先にドーンとやっちゃって、その後、三銃士とか、さらに下の馳とか若手が天龍と絡んでいくんでしょうか。
松村 うん。だから天龍と会って話をしたときは、別に新しい相手と試合をすればまた新たな展開があっておもしろい、みたいなことを言っていたんだけど。結構感動的だったのは、自分がやめて若い選手がトップに立ったとき、「オレはプロレスラーだったんだ」と胸を張れると。要するに、そういう若い選手を育てることによって、年をとってからも胸を張れるんだ、というようなことを言っていたんだよね。なんか感動的だったなあ。
(つづく)

*当時の文責はW氏によるもの。本稿では、筆者(織田祐二)が一部注釈的な加筆おこないました。


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