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著者自身も誤読する

かつて遠藤周作が自分の文章が大学入試問題で出題されたとき「俺はそういう問いで解答出来る文章を書いていない」と怒ったことがあったという。

大学入試で現代文が使われたときは客観的に精読すると論理必然的にこう読めるという解釈をされる。

テクストというものは著者の手を離れると独り歩きする。あらゆるテクストが全ての人に開かれているのだ。

それは著者自身にも当てはまる。著者自身も誤読可能性に開かれているのだ。

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