どんなに誤解されても、あなたの生き様で上書きしていくしかないのた

先日、不起訴になった高畑裕太クンの件。もう当事者同士の間で示談したし、不起訴ににもなったのだから、書く必要もないかと思っていたのだが、弁護士が出したFAXが火種となり、まだワイドショーで取り上げられている。

実際、こういう事件は取材できるものではないので、全部憶測でしかないのだが、知性派で一般的に常識人だと思われるキャスターがこんなコメントをしていた。

「『もし裁判になったら無実を訴えていた案件でした』というのなら、なぜ正々堂々と裁判で闘わなかったのでしょうか。示談にするというのはお金が絡んでくることですし。。。」

カチーーーーン。

あほか。裁判にしたって、最後はお金が絡んでくるわ。

しかも申告罪は申告する側が裁判にする、と覚悟を決めない限りできないじゃないか。

なぜ私がいちいち、こういう発言にムカつくのかというと、キャスターにしろコメンテータにしろ、実態を知らないのに発言する人が多すぎるからである。

自慢じゃないが、私はそういう罰や制裁を求めて裁判に訴えたことが「二度」ある。

民事ではあったが、いわゆる会社vs労働者、という立場で不法行為を受け、こちら側の名誉を甚だしく傷つけられたので、謝罪と相手方に法律に基づく制裁を求めたのだ。

しかーし。結果は、二度とも裁判官に「和解」を勧められた。

私の言い分を認め、相手方に非があることを認めた上で、裁判官が私に話してくれたのはこうだ。

「あなたの言うことは、とても理解できるし、辛い思いをされたことも同情します。

ですが、あんな無知な相手に謝罪をさせるために時間を使うより、誠意を見せてもらって解決したらどうでしょう?」

そう、誠意とは和解金を払ってもらって解決しようよ、ということである。

裁判官は忙しい。民事の場合「和解は勝訴も同じだから、それで解決しましょぅよ」というケースは星のほどあるのである。

だから、裁判になったとしても「お金は絡む」。

イコール、お金で済ませるために示談にした、とは限らないのだ。

今回の高畑クンのケースで考えてみよう。

私は、この事件を最初から「警察の発表が事実かどうか怪しい」と見ていた人だから、あくまでも私の推理として、聞いていただきたい。

※以下の内容はあくまで私が本能的に受け取ったものであり、取材やなんらかの情報をもとに書いたものではありませんので、事実とは違う可能性もありますよ。

たとえば検事が、強姦致傷として訴えてきた被害者を取調べしていく。

検察は、裁判になった際に弁護士が突っ込んで来そうな部分を確かめるはずだ。

・なぜ、女性一人で宿直しているのに(それ自体問題だけど)夜中に男性の部屋を訪問したのか。危険を予測できなかったのか

・なぜ、就業中に起こった事件なのに会社に報告や協議をせず警察に通報したのか、またなぜ、通報者は自分の個人的な知人だったのか

・この件で負傷した怪我の度合い

・裁判員裁判になると思うが、裁判員の前で詳細を話す覚悟はあるか

実際に裁判になる前に「強姦致傷」→「強姦」に減刑されるところをみれば、これらの質問に、検察が納得できる供述が出なかったのであろう。

示談にするとしても、高畑側の弁護士からも被害者に対して、この点はかなりつついただろうし、被害者の弁護士も本人に確認するにあたり「あれー?」と思う点は多かったに違いない。

被害者側は有名人とのアバンチュールをネタにお金をもらえればいいと思っていた。

が、思った以上にことが大きくなり、陪審員の前で裁判までしなきゃいけないと言われ、自分のうそがバレるのが恐ろしくなり事態の収拾を望んだ。

しかし相手側は相手側で社会的被害を受けているので、名誉毀損の逆訴訟の準備があるといわれ、FAXで無罪を匂わせる程度の発表はしてもいいと承諾するなら、示談金としてお金を渡してもいいと言われ、承諾した。

そして、お互いにこの詳細は口外しないと約束した。

被害者側の弁護士も「その方があなたの為だよ」と諭さない限り、強姦致傷→強姦→示談だけでなく、あの「コメント」発表を許可するはずがないのである。

ほんとのことは、当事者にしか分からない。

でも私はこの事件を勝手にこう読み解いているし、コメンテーターやキャスターがワアワア言っていても「見えないものを見てれば分かるのに、わかってねーなー」 と勝手に思っている(笑)

ただ、悲しいのは高畑クンのことじゃなくても、疑いをかれられた人は、たとえ裁判で「無罪」が確定したとしても、人々の心の中に「ほんとに無罪だったのかしらね」という黒いシミのようなものを残されてしまうことだ。

私も会社側からかけられた濡れ衣や、悪意あるうわさについて、結局釈明の機会さえ与えられずに、職場を離れるしかなかった。

しかし、いいように考えれば、そういう時がないと本物の友人の振り分けなんて出来ないということもわかってくる。

私の場合も親友や、理解者は「あいつがそんなことするはずない」と庇ってくれたし、「また、悪者にされちゃったね」とシャレにして笑ってくれた。

不器用でも、普通じゃなくても、ヘタクソでも。

ダメな部分も含めて本当の自分を理解してくれる人たちの信用を失わないように、これからも生きていけば、悪いうわさや記憶なんて、上書き保存できるはずだと信じたい 

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