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課題を分離する。自分を変えられるのは、自分しかいない。

前回の記事では、ベストセラー『嫌われる勇気』に掲載されている「承認欲求の否定」について取り上げました。

他者からの承認を求めることは他人の人生を生きることにつながり、本当の自分を捨てることになる。
だから、他者からの承認を求めてはいけないという話でしたね。

しかし、「他者の期待を満たそうとするな」というと、いかにも自分勝手で傍若無人な振る舞いをイメージされる方もいらっしゃるかもしれません。

そこで、今回の記事では「課題の分離」について取り上げることで、自分勝手な生き方を推奨しているわけではないことも含めて、説明していきたいと思います。

「課題の分離」とは何か

「課題の分離」とは、一言で言うと「他者の課題には踏み込まない」ことです。

一つ一つの課題に対して、「これは誰の課題なのか?」を明らかにして自分の課題と他者の課題を切り分ける。そして、相手の課題には決して踏み込まない。それが、「課題の分離」です。

『嫌われる勇気』では、このように書かれています。

およそあらゆる対人関係のトラブルは、他者の課題に土足で踏み込むこと−あるいは自分の課題に土足で踏み込まれること−によって引き起こされます。課題の分離ができるだけで、対人関係は激変するでしょう。

誰の課題かを見分ける方法

課題を分離した後、誰の課題なのかを見分ける際の考え方は「その選択によってもたらされる最終的に結末を引き受けるのは誰か?」ということです。

たとえば、子どもに勉強をさせようとする親がよくいますが、仮に「勉強しない」選択をとったとしても、その結果を引き受けるのは親ではなく子どもの方です。

勉強しなかったことで受験に失敗した、希望の職に就けなかった、という結果は子どもに対して降りかかるものであり、本質的には親には全く関係がありません。

そして子ども自身も、親のために勉強するなんてことはあってはならないのです。

「見捨てる」ではなく「見守る」

そしてここでも注意したいのが、決して「困っている人を見捨てろ」といったような考え方ではないということです。

大事なのは「見捨てる」ことではなく、「見守る」こと。

子どもの例で言えば、本人が勉強したいと思った時にはいつでも援助できる用意をしておき、それを子どもにも伝えておく。けれども、子どもから頼まれもしない限りはあれこれ口を出したりはしない、ということです。

医療のカウンセリングなどでも同じですね。相談を受けた結果どう行動するかは相談者自身の判断に委ねられており、カウンセラーはそこに介入することはできません。そして相談者もカウンセラーに頼ってはダメなのです。

自分を変えることができるのは、自分しかいません。

最後に

以上、『嫌われる勇気』を題材に「承認欲求の否定」から「課題の分離」を2回に分けて取り上げました。

書籍の方ではこの話題についてまだまだ議論が続いています。もし、まだ何かモヤモヤする、もっと詳細に学びたい想いがある方は実際にお読みになっていただければと思います!

それでは、今回の記事は以上となります。
お読みいただき、ありがとうございました!

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